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OB'sコラム

育む杜〜森一哉〜

2008 / file02

ものの見方や考え方を変えること

森 一哉
Mori, Kazuya

1974年4月17日生まれ、徳島県出身。 川崎フロンターレ創設時のメンバー。1999年からは指導者として第二の人生をスタート。
以来、小学生を対象にしたサッカースクールから、中学生を対象にしたU-15まで様々な年代を担当した育成のスペシャリスト。現在、U-13監督として、次世代のフロンターレ戦士育成に邁進する。

30歳を過ぎてから、ようやく気付いたことがあります。
それは、ものの見方や考え方を変えることによって、人間としての幅が広がったり力量が上がったり、今までであれば怒っていたようなことが怒らずにすんだり、これまで行き詰まっていたことが好転していったり、というふうにいろんな事が良くなっていくということに気付きました。これに気付いた時、これまでの自分は、なんとたくさんの人に迷惑をかけていたのだろうと深く反省したし、このことにもっと早く気付くことができていれば、現状がまた違ったものになっていただろうと感じています。
1つの例を出して、書いてみたいと思います。

指導の現場において、「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」という言葉を耳にします。自分も以前はこの言葉を使っていました。でも、それは本当にそうなのでしょうか?選手だけの責任なのでしょうか?

確かに、なかなか出来るようにならないという選手にも責任はあるかもしれませんが、性格に違いがあるように、考え方に違いがあるように、指導力に違いがあるように、出来るようになるまでにかかる時間にも違いがあるという、1人1人違うということを指導者が理解することができれば、それは決して選手だけの責任ではないということがわかります。個々に応じて、1人1人をしっかりみて指導しようと思っていながらも、実際は自分の価値観で全てをひとくくりにし、それに達していなければダメだと、決めつけた見方をしてしまっていることが多々あります。

「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」という現象の原因をどう捉えるか。実は、この捉え方の違いが、いい指導者になれるかどうかの分かれ目になっていくような気がしています。
「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」という原因として、見方を変えれば、指導者の説明の仕方が悪いために、選手が理解できない。だから、「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」のかもしれません。その場合は、明らかに指導者の責任です。

もう1つは、指導者の説明の仕方は良い、選手に理解力もある、でも出来るようにならないということもあります。その場合における原因としては、たとえば今その選手は思うようなプレーが出来ていない。当然精神状態としては良くない。選手は、どうすればいいプレーができるようになるのか、もがき苦しむ中でいろんなことを考え、試行錯誤しながら悩んでいる。なのに、そんな状態の時に、たとえ客観的にみても100点満点の正しい内容のアドバイスだったとしても、聞く側である選手がそういう精神状態であれば、伝えたとしても伝わりきらない。だから、「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」のかもしれません。

また、同様に指導者の説明の仕方も良く、選手に理解力があったとしても、その二者の間に信頼関係が構築されていなければ、いくら伝えたとしても、選手はそれを受け入れることはないでしょう。「この人の言うことなんか聞くもんか」。表向きはいい返事をしていたとしても、心でそう思われていたのでは、「いくら言ってもなかなか出来るようにならない」のではないでしょうか。相手の立場に立って考えてみることで、いろんなことが見えてきます。

こういうふうに見方や考え方を変えることによって、もっと自分の説明の仕方を工夫しないといけないな、もっと説明するタイミングを考えないといけないな、説明よりもまずは信頼関係を築いていかないといけないな、などと自分をレベルアップさせていくことができる要素が隠れていることがわかります。コーチとして選手を教えるという立場でありながらも、逆に選手から教わっているというのは、こういうことだと思います。
相手を変えようと一方的な見方ではなく、ものの見方や考え方を変えるという、自分から変わって相手を理解しようという、そういうアンテナを高く広くし、その中でレベルアップさせてもらえる要素を見逃さずにキャッチし、そこからどうすべきかを考えて実行していくという課程が、いい指導者になっていくためには必要だと思います。

このことだけに限らず、普段の生活の中には、いろんなことがあります。この例における、指導者と選手という関係だけでなく、指導者同士、選手同士、先輩後輩、仕事関係者、夫婦間、親子間など、ものの見方や考え方を変えれば、怒らずにすむこと、物事が好転していくことがたくさんあるはずです。
決して相手だけの責任ではない。自分の方にも責任はないか。こういったことを深く考えていくことが、自分という1人の人間の人間力を引き上げていくことにもつながっていくと思います。
これは、サッカーというスポーツにも応用できます。自分はこうしたいんだ、チームとしてこういうサッカーをするんだということだけにとらわれるのではなく、相手という立場に置き換えて見方を変えることによって、こうすれば相手はやりにくくなるし嫌がるな、こうすれば自分やチームがやりやすくなるな、といったことが見えてくることがあります。サッカーはシンプルでありながら、でも実は奥が深いものだなと、最近また考えるようになりました。それにより、自分はまだまだ知らないことが多いということにも気付くことができました。
サッカーについても、コーチング法についても、もっともっといろんな事を学んでいきたいと思っています。

2008年04月01日 森 一哉

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