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2004 / file07

思いでもUEFA欧州選手権1992 スウェーデン大会!

向島 建
Mukojima,Tatsuru

1966年1月9日静岡県生まれ。静岡学園高-国士館大-東芝を経て1992年清水エスパルス入団。1993年Jリーグオールスター戦出場。1997年川崎フロンターレへ移籍。以来2001年の引退まで要衝としてチームを支える。2002年から川崎フロンターレフロントスタッフ。2003年にはフットサル日本代表候補に選出。「SUKISUKI!フロンターレ(iTSCOM)」やサッカースクール・サッカー教室・講演・フットサル解説など川崎のサッカー伝道師として多方面で活躍中。

UEFA 欧州選手権 2004 ポルトガル大会が開幕した。
 待ちに待った開幕戦は「ポルトガルvsギリシャ」で、ポルトガルのサポーターで埋め尽くされたポルトにあるドラゴンスタジアム。開催国でタレントが豊富であり優勝候補にあげられるポルトガルの試合に注目が集まったが、ギリシャが2-1で破り波乱の幕開けとなった。ポルトガルに自国開催のプレッシャーがかかったのか?2002W杯のように、サッカーの世界では何が起こるかわからないから面白い!
1992年6月11日~25日、私は清水エスパルスの選手としてハンガリーとスウェーデンを遠征した。
エスパルスはチームが誕生したばかりで、しかも監督を含めブラジル人が多かったことなどから、この欧州遠征でチーム力を上げることや、選手・スタッフとのコミュニケーションを図り信頼関係を作ることが第一の目的だった。
 17名の選手と十数名のスタッフで最初にハンガリーのブタベストに入った。そこはハンガリーサッカー協会が手配してくれた、タ-パスポーツセンターというスポーツ選手専用の合宿所で、私たちの他にもハンガリーの水泳選手や体操選手が合宿を行っていた。サッカーに集中するには最適な条件の場所だった。

 ブタベストでは地元のチームと3試合交流試合を行ったが、どの相手チームもアマチュアで力的には劣っていたが、エスパルスのような出来立てのホヤホヤチームは、コンディションをあげることや試合での連携・コミュニケーションを図るにはいい相手だった。その後スウェーデンのストックホルムに移動し1試合交流試合を行った。相手はオランダのプロチームで前の3試合のようにはいかなかった。私はプロ選手になって初めて欧州のチームと対戦したが、改めてフィジカルの強さと、組織力がしっかりとしていること、ピッチ状態を含め環境の違いを実感した。チームにおいても自分にとっても課題がはっきりと見えた試合になった。
 そして、今回の遠征のもう一つの目的である欧州選手権1992スウェーデン大会(UEFA EURO 1992 SWEDEN)を観戦することだ。
 各国の代表チームが競う欧州選手権は、1956年から構想が練られ、2年後に欧州ネーションズカップという名称で始まった。UEFAの創設に尽力したのが、フランスサッカー協会のアンリ・ドロネー氏で優勝チームに送られるトロフィーには、彼の名前が付けられている。1968年からは欧州選手権に大会名が変更された。
6月21日、欧州選手権準決勝 「スウェーデン vs ドイツ」ストックホルムのロースンダ・スタジアムで行われた試合を観戦した。
 開催国スウェーデンの試合だけにスタジアムの周辺はスウェーデンカラーの黄色と青のユニホームやグッズで並べられ盛り上がっていた。欧州で見るプロの試合はこれが初めてで、しかも欧州選手権準決勝の素晴らしいカード、しかも当時私が一番気に入っていた選手でもあるドイツ代表のMF?トーマス・へスラーを間近で見れたことは最高に幸せだった。小柄でテクニックがあり欧州の大柄な選手をキレキレのドリブルで交わすところは、自分がプレーしているかのように勘違いしてしまうくらい、見ていて気持ちがよかった。サッカー選手として上を目指していくうえで、私に勇気を与えてくれた選手の一人であった。この試合は地元スウェ-デンのサポーターの声援も大きく好ゲームとなったが、最後は勝負強く、力のあるドイツが2-1で勝利した。?トーマス・へスラーのゴールも見ることができ、満足できる試合だった。
 翌日、6月22日ストックホルムからヘルシンボリに移動し、ヨ-テボリにあるウレッビ・スタジアムで欧州選手権準決勝2試合目「オランダ vs デンマーク」の試合を観戦した。当時オランダといえば、?フランク・ライカールト、?マルコ・ファンバステン、?ルート・フリット、という3人のスーパースターがあまりにも有名で注目され、優勝候補NO1だった。私もオランダの爆発的な攻撃力に注目した。試合は以外にもデンマークの?ラーセンが先制した。その後、オランダの?ベルカンプのゴールで追いつき、またしても?ラーセンが突き放すという展開になった。そして終了4分前?ライカールトのゴールでようやくオランダが追いついたが、PK戦の末、5-4でデンマークが勝利した。誰もがオランダ勝利を予想していたが、サッカーは戦ってみなければわからないもので、いくらスター選手が揃っていてもチームが一つになり上手く機能しなければ勝てない。やっぱり11人みんなで戦うチームスポーツであり、見ていて勝ちたいという気持ちが伝わってきたデンマークのチームワークによる勝利だった。終わってみれば私の注目はオランダの3人からデンマークチームへと自然に替わっていた、オランダのサッカーよりはるかに素晴らしい彼らの勝利に感動していたのを思い出す。 
 このスウェーデン大会は、欧州の政治情勢が変化する中で開催されており、東西ドイツは統一ドイツとしてチームを作り出場し、解体されたソ連は独立国家共同体(CIS)として参加。ユーゴスラビアは内戦での残虐行為により大会から除外され、ユーゴスラビアに代わって急遽大会に出場したのがデンマークだった。デンマークは前回の1988年ドイツ大会で3連敗を喫した上、ミカエル・ラウドルップが出場を拒否しており、大きな期待を寄せる人は少なかったが、予想外の展開で決勝進出を果たした。注目の決勝戦はデンマークに対し、ドイツが力で押し込む展開となった。防戦一方だったデンマークだったが前半18分に?イェンセンのゴール、後半33分に?ビルフォルトが追加点を決めアンリ・ドロネー杯にくっきりとデンマークの名前が刻まれた。白血病に苦しむ娘を見舞って戻ってきたばかりの?ビルフォルトが決勝でゴールを決めたことはまさにおとぎ話にふさわしかったという。こうした様々な理由からヨーロッパの人々の大半はデンマークの優勝を喜んだ。

 私が見た1992年の欧州選手権は、他の大会から見ると観客数が少なかったが、関心がなかったわけではなく、スタジアムの収容能力が限られていたからだ。大会中もフーリガンが暴れて問題を起こすこともなく、熱心にチームを応援し続け欧州選手権の中でも最も国際色豊かな活気あふれる素晴らしい大会になった。そんな大会を実際にスタジアムで観戦し、欧州選手権の雰囲気を十分に味わうことができたことは幸せだった。これまでの欧州選手権の長い歴史の中で開催国は必ず準決勝まで勝ち上がっている。開催国は、やはり有利であり大会を最後まで盛り上げる力があるため、2004大会はポルトガルに期待したい。大会が終了するのは寂しいが、今からFINALに顔を合わせる国はどこかが楽しみだ。

2002W杯以降、日本のTVでも世界中の試合が放送され、スポーツニュースでは現在行われている欧州選手権の結果をやるまでになった。私が少年時代はサッカーの試合放送は少なく、世界の情報もなかなか自分の中に入ってこなかったが、現在では子供たちも世界のスパースターのプレーを見ることが出来、その素晴らしい技を真似し磨くこともできる。また、サポーターや初めてサッカーを見る人も、この欧州選手権の独特な雰囲気は映像でも十分に味わうことができる。欧州でも国によってまったくサッカーのスタイルが違い見ていて楽しい。是非、今行われているこの大会を見て自分の中でサッカーの素晴らしさを思う存分感じてほしい。また、いつの日か欧州選手権をスタジアムで観戦し再び感動を味わうことが出来る日を私は夢見ている。これからも世界一のスポーツサッカーは私の生活と共に歩み、永遠に人々関心を集めていくことになるだろう。
 サッカー!こんなに面白いスポーツは他にはない・・・。

2004年07月02日 向島 建

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