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2004 / file09

クリスマスプレゼント

向島 建
Mukojima,Tatsuru

1966年1月9日静岡県生まれ。静岡学園高-国士館大-東芝を経て1992年清水エスパルス入団。1993年Jリーグオールスター戦出場。1997年川崎フロンターレへ移籍。以来2001年の引退まで要衝としてチームを支える。2002年から川崎フロンターレフロントスタッフ。2003年にはフットサル日本代表候補に選出。「SUKISUKI!フロンターレ(iTSCOM)」やサッカースクール・サッカー教室・講演・フットサル解説など川崎のサッカー伝道師として多方面で活躍中。

2004年シーズン、川崎フロンターレは圧倒的な強さでJ2リーグを優勝!念願のJ1返り咲きを果たした。そしてシーズン最後の大会である天皇杯でもJ1相手に堂々とした戦いをみせ、来期に繋がる形でシーズン終了となった。これから天皇杯も大詰めになっていくが、この日程こそが必ずといっていいほどクリスマスと重なる。海外のリーグではクリスマス休暇になるリーグもあるほどで、クリスマスといえば一年の中で最高のイベントであり子供から大人まで楽しめる。特に子供はプレゼントを期待するものだ。私は35にもなって素晴らしいプレゼントを貰うことができた。それは貴重で、二度と貰えない最高の贈り物だった。
『2001年12月24日(月)天皇杯準々決勝、川崎フロンターレ3-0東京ヴェルディ1969』
私は、この日チームメートから最高の『勝利』をプレゼントされた。(勝利=清水エスパルス戦)
J2リーグ戦終了時点で現役引退を表明し、引退後のために指導者ライセンス取得 へ講習会にも参加、コンディションもベストではないことやチームを離れることで他選手やチームへの影響も考え天皇杯には出場しないことを自分の中で決めていたため、この試合も当然メンバーから外れていた。フロンターレは出場している選手がチームを去る選手が大半を占め、少しでも長くこの仲間たちと一緒にサッカーをしたい、1試合でも多く試合をしたい、という強い気持ちがチームを一つにし、J1の強敵ヴェルディを相手に大勝した。負ければシーズン終了、引退・・・しかしフロンターレは準決勝進出、次の相手は清水エスパルスと対戦することが決まった。J1相手に激しい試合で勝ち上がってきたためケガ人や出場停止選手が出る中、FWのポジションが空いてくる。しかも相手は私が5年間在籍していた思い出がある古巣の清水エスパルスだったことから「試合に出てみたい!・・いや今更何を言っているんだ・・出るべきではない!」正直複雑な気持ちもある中、コンディションのいい戦える選手が出場するべきで、全ては監督の決定に従うのがベストである。そんな中、選手・スタッフたちの声が私に届く「タツルさん出場してくださいよ!エスパルス戦ですよ!」この試合に出場する、しないかかわらず彼らからの温かい言葉、今シーズンで現役を引退する私への心遣いが本当に嬉しかった。最終的に石崎監督から「“タツル”行けるなら行こうぜ!」その一言が準決勝の舞台である神戸行きを決断させた。

 神戸行きを前に済ませておかなければいけないことがあった。それは引退後の去就問題だった。
フロンターレに移籍してから毎年12月のシーズン終了後に、来期現役続行? 引退? についてエスパルスから尋ねられていた。現役を続けるならできるところまで頑張ってほしい。しかし、現役を引退するならエスパルスに指導者として戻ってきてほしいと。引退後のことについて自分自身は「クラブ全体を知りたい、どうやってクラブが運営され成り立ってるのか? どんな人たちがクラブに関わって、選手をどう見てるのか? 」引退したら指導者になるのが一般的だが、自分は指導者になる前に勉強しておきたいことがある。選手から指導者になったら見えない部分がたくさんあるのではないか? 現役生活が長かった分、一般社会の常識的なことから離れすぎているような気がしていたことも事実だ。いろんなことを学んでから指導者になったほうが自分はいいのではないか。子供たちにサッカーだけを教えている時代ではないし、自分自身がもっとしっかりしたものを身に着けたい。そう考えると、いろんなことを経験できて学べる条件を与えてくれたフロンターレに残ったほうがいいのでは? クラブの実績やブランド的に考えるのならエスパルスかもしれないが、フロンターレではやることがたくさんある。生まれ育った故郷でもあり選手として華々しい活躍ができ、選手としてのイメージが強いのはエスパルスかもしれないが、フロンターレはこれから可能性あるチームで自分を生かせるのではないか。神戸での準決勝を前に去就をはっきりさせたかった。迷い・・悩み・・いろんなことが数日間、頭の中を駆け巡り、最終的に出した結論はフロンターレに残ることだった。出発を控えた前日木曜日、清水の関係者に電話で自分の気持ちを伝えた。すっきりした気持ちになり現役最後の舞台になる神戸に向かった。

 2001年12月29日(土)神戸ウィングスタジアム準決勝、川崎フロンターレvs清水エスパルス戦当日がやってきた。試合前スタジアムのゴール裏は両チームサポーターの応援が鳴り響く。競技場に入りピッチコンディションを確認していると清水関係者が私の元へやってきた。昨日の話しから世間話し、そして「試合終了後にエスパルスサポーターにも挨拶してくれ! みんな待っているから! 」という言葉を最後に別れた。試合はエスパルス有利に展開するがフロンターレも粘りをみせ好ゲームとなった。そして2-1とエスパルスにリードを許した後、いよいよ現役最後のピッチに立つ。出場早々引退を知ってかエスパルスの選手たちから握手を交わしてくる。それから夢中で走りまわった15分間のあっという間の出来事だった。地に足が着いていない、まったく自分のプレーではなかったが、グランドに全てを置いてくることができた。試合は2-1のまま終了した。私の14年間の現役生活が終わったとともに、川崎フロンターレ2001シーズンも終了した。
まず両チームメートと握手を交わし、ゴール裏で共に戦ってくれた心強いフロンターレサポーターにお礼の挨拶をした。そして、タツルサポートクラブの方々も駆けつけ、たくさんの拍手と花束を贈ってくれた。主審からは最後に使用された試合球を渡され、たくさんの人たちが私の引退に華を添えてくれた。最後に愛娘の美里とともにエスパルスサポーターの待つゴール裏に挨拶に行く。たくさんのサポーターが私に手を伸ばし握手を求めてきてくれた。涙を流してくれている熱いサポーターもたくさんいた。それにしても現役最後の試合がエスパルス戦とは凄い巡り会わせだ。誰かがセレモニーを予定し手掛けてくれたわけでもない。これも12月24日に勝利をプレゼントしてくれた、かけがえのないチームメートのお陰であり、忘れられない最高の引退試合になった。一生忘れられない感謝の気持ちでいっぱいである。

 いよいよ今年も残すところあと僅か。
 J1昇格を決めた今、引退する選手・移籍する選手・来期の舞台を待ち望む選手たちがいる。これだけは忘れてはいけないことがある。J1昇格の影にはいろんな人が関わっていたということだ。選手は他人のためにプレーしろとは言わない、自分のためにプレーしてほしい。しかし、サッカーは一人では決して成り立たないものであり、いろんな人の支えがある。そして必ず自分も引退するときが来るのだから。人のために良くしてあげられるなら必ず自分にも帰ってくるものだ。
サッカー界は今年も目まぐるしいくらいたくさんのドラマがあった。

 川崎フロンターレはJ1昇格という目標を果たすことができた。選手たちはチームが一つになり最後までよく戦った。そしてサポーターの皆さんにはホームは勿論、遠方のアウェイでも関係なく足を運んで熱い応援をしていただき本当にありがとうございました。
 2005年シーズンも川崎フロンターレは人々にたくさんの感動を与え、みんなが幸せな一年を送れるように努力したいと思います。これからも皆さんの変わらぬ温かいご声援をよろしくお願いいたします。

※ガミ&ユヅキ、現役生活お疲れ様、第二のサッカー人生での活躍を期待します。

2004年12月24日 向島 建

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