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2005 / file11

ドーピング!(前編)

向島 建
Mukojima,Tatsuru

1966年1月9日静岡県生まれ。静岡学園高-国士館大-東芝を経て1992年清水エスパルス入団。1993年Jリーグオールスター戦出場。1997年川崎フロンターレへ移籍。以来2001年の引退まで要衝としてチームを支える。2002年から川崎フロンターレフロントスタッフ。2003年にはフットサル日本代表候補に選出。「SUKISUKI!フロンターレ(iTSCOM)」やサッカースクール・サッカー教室・講演・フットサル解説など川崎のサッカー伝道師として多方面で活躍中。

『競技者の健康を害し、フェアプレーの精神にも反する。反社会的行為であり、ずるくて危険な行為を容認することは健全なスポーツの発展を妨げる』
Jリーグでは、毎節ドーピングの検査が行われている。ドーピングコントロール委員会によりJ1・J2の試合から無作為に1試合を選びます。ドーピング対象試合に出場するJクラブのチームドクターは、試合開始前72時間の間に選手に処方させた薬物(薬品名、診断名、投与量、投与時期、投与期間、投与方法)その他必要事項を記入し、試合開始前にドーピングコーディネーターに提出しなければいけません。

両チームから2選手ずつを抽選で決定します。ドーピングテスト対象選手の選抜は試合開始前に両チームの代表者が立会い、対象選手を抽選で選び、ハーフタイム時に各チーム代表者立会いのもと封筒を開封し確定します。
試合後に尿検査を行い、FIFAが禁止している薬物を使用していないかチェックします。ドーピング検査で禁止物質が検出され、違反が明らかになった場合、出場停止のほか、チームにも3千万円以下の制裁金が科せられます。それは治療目的であっても制裁が課せられます。
私は実際に選手時代4回ドーピングテストを行いました。ドーピングテスト対象選手は試合終了後直ちに、ピッチからドーピングテスト実施場所へ向かわなければいけません。

1996年清水エスパルス在籍時、ガンバ大阪戦(日本平スタジアム)で私はベンチスタートでした。この日、ドーピング対象試合であることを試合前に聞かされ「当たりたくないなぁ!」というのが本音であり、選手の正直な気持ちだと思います。それは、ドーピング検査で決められた尿を採取し、出るまで帰れないことや、出なければ余計に水分を採って一定量以上の尿を出さなければいけないため、お腹に負担がかかることや、ドーピングで禁止薬物を使用していないのが自分自身わかっていても、検査をさせられることで精神的にも面倒なことだったのです。

前半のスコアーは0-2でガンバがリードしている。後半に入りベンチ横でウォーミングアップを続けているが出番はない。そんなとき、福岡ドクターから「おめでとう!ドーピング検査だから・・」と声をかけられた。ハーフタイムでの開封で2選手のうちの1人になってしまったらしい。このまま試合に出場することがなければ、ベンチからそのままドーピングテスト実施場所に向かうことになる。後半も残すところわずか、敗戦濃厚だったが終了間際で伊東輝悦、永井秀樹のゴールでエスパルスが土壇場で同点に追いついた。奇跡的な追い上げで状況は一変した。延長に入り突然アルディレス監督から私に交代を告げられ出番がまわってきたが、このときほとんど出場する気配がなかったことから、ドーピングを控えて普段より多めに水分を採りすぎてしまっていた。お腹には少し違和感は残ってはいるもののプレーには問題なく、延長前半14分、伊藤優津樹からのパスをガンバゴール右隅に流し込み貴重な決勝Vゴールを決めることができた。延長戦で決めれば勝ちのVゴール方式だったため、私のゴールでエスパルスが勝利を掴んだ。試合終了後ヒーローインタビューもろくにせず、ドーピングテスト実施場所へ関係者に付き添われ向かった。

2005年04月25日 向島 建

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