モバイルフロンターレ

OB'sコラム

ヤス、翔ける

2008 / file02

後悔先に立たず

長橋康弘
Nagahashi,Yasuhiro

東海大一中、静岡北高校、清水エスパルスと歩み、1997年、当時JFLに所属していた川崎フロンターレに加入。川崎フロンターレに所属して10年。ドリブル突破が魅力のクラブの歴史に残る右サイドの職人。現在、フロンターレ育成普及コーチとして子供たちの未来を背負う。
1975年8月2日生まれ、静岡県富士市出身。

2月28日(木)、僕は川崎市立金程小学校の6年生の子供達に、「夢」について話をしに行きました。

夢をつかむには、いろいろな挫折がある。僕自身そこであきらめていたら、きっとサッカー選手にはなれなかったと、自分の経験を元に話をしてきました。そして話の最後に親父がよく言っていた「人の心の痛みをわかる人間になりましょう」という言葉を残し、小学校を後にしました。

子供達の前でこのような話をしたのは初めての事だったので、うまく伝わったか不安は残りましたが、初めてのわりには、上手くいったという手ごたえと、数日前からの緊張から解放されたせいもあり、午後からのジュニアの練習をすがすがしい気持ちで臨む事ができました。

練習も終わり、帰って一杯やろうかと思っていた時、兄から電話がきました。
話の内容は、「親父が倒れた。検査の結果、がんの可能性がある」というものでした。それを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になり、涙が止まりませんでした。この事実を受け入れる事ができず、いろいろな事を考えてしまいましたが、気持ちが少し落ち着いたところで、親父に電話をしてみました。「なんだ、光(兄)から聞いたのか」と、どうやら僕には知らせるなと言っていたらしく、少しがっかりした様な声でした。
しかし、自分の体がそのような状態にもかかわらず、しきりに僕の体を心配していました。そして電話の最後に、「心配してくれる気持ちは分かるけど、仕事は仕事だ。私情をはさむな」と、親父らしい言葉で、心が折れそうな僕を一喝してくれました。

午前中の小学校で、「これからいろいろな挫折があるかもしれないけど、負けないでください」と話をしてきたその日に、まさかこのような事がおこるとは思いませんでした。

4月15日(火)現在、親父は病院の方で、がんと闘っています。
そして僕はというと、親孝行を後回しにしてきた事に、後悔をとおりこして、自分を恨んでいます。しかし、僕が下を向いて生活する事を親父は望んでいません。こういう時だからこそ前を向き、笑顔で生活しています。

これを読んでくださっているみなさん。事がおきてからでは遅い事がたくさんあります。この先後悔しないためにも、今できる事を・・・。

2008年04月20日 長橋康弘

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