2005/vol.01
黒津勝は、最大の楽しみが訪れるのを待っている。 4年間のJ2での戦いを経て、いよいよ、まだ見ぬJ1の舞台へ挑戦するときが、もうすぐそこに来た。 「もっと厳しいですよね。絶対。J2とは全然違うと思うし楽しい反面、厳しいはず。チームとしては絶対に1年で落ちるようなことがあってはならないし、優勝争いしなくちゃ。個人的には、また成長できる場面が来るのかなぁって楽しみです」 2001年、黒津勝は花咲徳栄高校から川崎フロンターレに加入した。夢に描いたプロ生活がスタートを切ったが、はじまりは順調とはいかなかった。最初のメディカルチェックで左足の中足骨疲労骨折がみつかり、いきなりリハビリスタートとなってしまったからだ。 |
そこで気づきがあった黒津は自分を変えようと必死になった。失ってしまったチャンスを取りかえそうと自分を見つめなおした。練習試合でゴールを決めよう‐。とにかく結果を求めた。 「ある意味、よかったのかもしれないですね。自分の悪いところがわかって。これはいかんなって。もっと絶対にできるなって思ったし。ただ、最初のチャンスを自分で潰しちゃったから、そこから立て直して切り替えるのは時間がかかりましたね」 まず、周囲の意見に聞く耳をもつことを心がけた。それが最初のきっかけになった。 「素直に受け止めてひとつひとつ弱点を克服しようって思いました。シチュエーションによってプレーも変わるわけだし、日々考えて意見を聞いて『こういう状況の場合は、こうだな』っていうのをひとつひとつ考えて。昔は周りが見えてなくて、そういうのがわかんなかったんですよ。自分自分ってなっちゃってて、周りとの連携とかがダメだった。いろんな角度からモノが見られるようになったことが一番変わったところですね。自分に一番足りなかったところだと思うし、そうやって結果がついてくるようになった」と言って、続けた。 「やっぱり、自分で気づくんですよね」 |
話は、9月23日対山形戦に遡る。フロンターレは昇格に王手をかけてから産みの苦しみを味わっていた。11日、大宮に0対3と完敗。翌週の湘南戦には勝利したが、他チームの結果により持ち越し。迎えた山形戦は、今度こそと意気込んだ一戦だった。前半マルクスが相馬のクロスに合わせて先制する。しかし、79分に林、86分に大島に決められ逆転負けを喫してしまう。等々力が静まり返った。 |
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ジュニーニョ、マルクス、我那覇、そして町田とFWのポジション争いは熾烈を極めた。我那覇に代わって交代出場する場合、マルクス、ジュニーニョに自分のよさを理解してもらうことで連携を深めてきた。 |
花咲徳栄高校より'01年、川崎フロンターレに加入。スピード溢れる突破で左足から鋭いシュートを放つ成長著しいレフティー。 |