2005/vol.03




「もう1回、長居でやりたいっていう気持ちがあったんですよね」 下川誠吾にとって、忘れられない試合がある。それは、2003年も終わりかけた12月27日に行われた天皇杯準決勝対鹿島アントラーズ戦のことだ。 1996年、大学3年になる春に学業と両立させる形で下川はセレッソ大阪に加入した。サッカーを始めたのは中学生からと遅かった下川だが、すぐに選抜に選ばれるなどとんとん拍子にサッカー人生が進んでいった。大学生になると、1年のときに大学選抜としてブラジル遠征に参加。2年の夏に転機が訪れる。下川の住む尼崎市内にあるセレッソの練習グラウンドで、縁あってキーパーの練習に参加させてもらうことになったのだ。当時在籍していたジルマールという手本になる存在が身近にいるなかで、キーパーコーチの指導を受け、貪欲に吸収する日々を送る。そして、半年後、在学中ながら契約を結ぶに至った。 |
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それから8年が経ち、地元であり親しみのあるチームを、その年の天皇杯を最後に離れることが決まった。110試合連続フル出場という歴代3位となる記録をみてもわかるように、長年セレッソ大阪の守護神として君臨していた下川だったが、2003年はリーグ戦の途中から出番をなくしていた。 「リーグ戦の途中でパッと代えられて、なんでかなぁって思ってた。ポジション的に代わったら、また取り返すのは難しいしね」 そして、戦力外通告──。だが、出番を失った後も変わらずに練習を続けパフォーマンを保っていた下川に、天皇杯でセレッソの一員として出場する最後のチャンスが巡ってきた。チームは順調に勝利を重ね、ついに決勝へ。惜しくも決勝戦ではジュビロ磐田に0対1で敗れ準優勝に終わったが、そこに至る準決勝は下川にとって特別な一戦として記憶された。 「出られなかったときに、もう1回長居でやりたいっていう気持ちがあった。天皇杯からまたチャンスをもらったときに、トーナメント表をみたら準決勝が長居だったんですよね。だから、実際に勝ち進んで、やっときたなぁって感慨深かった。もう契約がないって言われてからの天皇杯だったので、最後かぁって感じでしたよね」 |