2005/vol.11
マルセロ・ポンテスはフィジカルコーチとして、わずか21歳のとき名門フラメンゴのトップチームからスタートを切った。通常であれば、ユースチームからはじめ、徐々にステップアップしていくことを考えると、この経歴はかなり珍しいケースだと言える。
もともとは、マルセロ少年もプロサッカー選手となることを夢見ていた。子どもの頃から学校のクラブなどに所属し、いずれはプロのクラブへ、と思い描いていたが、いくつかのクラブを受けたもののすべて落ちてしまう。結局、15歳のときにプロ選手への夢は断念した。 「最近でこそ、代理人がついてもう少し上の年齢からプロになる道もできたけれど、当時はユースなどに入れなければ難しかったんだ」 選手への道をあきらめたマルセロは大学の体育学部へ入学、ここで過ごした4年間がキッカケで、フィジカルコーチの職業を選ぶことになったのだ。大学時代のマルセロは、大学のサッカー部とアマチュアチームでプレーをし(ちなみに、ポジションはボランチだった)、一方でフットサルのクラブで大学の恩師の下についてフィジカルコーチのアシスタントをしていた。2年間、そこでフィジカルコーチとして経験を積んだマルセロに、卒業と同時に転機が訪れた。 |
「フラメンゴのフィジカルコーチにならないか?」 その恩師が、フラメンゴの強化部にも所属しており、マルセロに声がかかったのだ。そうして、願ってもないブラジルの名門・フラメンゴで、フィジカルコーチのアシスタントとしてプロの世界に足を踏み入れることになった。 「フィジカルコーチの下の下、というポジションだった。大学で勉強していきなりトップチームの現場というのは、ありえないこと。僕の場合は、いい出会いがあって本当に運がよかったと思う。でも、だからこそこのチャンスを活かそうと、フィジカルコーチからいつも勉強会を開いてもらっていろんなことを覚えていく毎日だったよ」 フラメンゴで半年が過ぎたとき、フィジカルコーチとマルセロの上にいたアシスタントが戦力外通告を受け、思いがけずマルセロがフィジカルコーチの責任者となった。ちょうどそのとき、テレ・サンターナがフラメンゴの監督に就任。チームはテレ・サンターナに問うた。 「いまいるフィジコは若いが、彼を残すか? それとも誰か別の人を連れてくるか?」 「選手たちが、その若いフィジコを信頼しているなら、そのまま残したい」 それが、テレ・サンターナの答えだった。 「フィジコとして勉強することも大事だし、いまでも勉強は欠かさないけれど、一番大切なことは、選手たちと信頼関係を築くこと。そのためには全員を平等に扱うことは当たり前。当然だけど、レギュラーと試合に出ていない選手を差別してはいけない。全員が大切な選手たちだからね」 若いGKコーチも同じ理由で継続することになったが、結局テレ・サンターナは2ヵ月後に新たなGKコーチを連れてくることになる。一方のマルセロは、5年間の長きに渡って名門・フラメンゴで仕事を継続した。 |
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ジーコとの出会いは、フラメンゴに入った1988年からの2年間、選手とフィジカルコーチとして共に時間を過ごした。その後、ジーコはフラメンゴを離れ、数年後には日本へと渡り鹿島アントラーズと深いかかわりをもつようになるが、マルセロとの友情は続いていた。若いながらもフラメンゴで実績を残しているマルセロのフィジカルコーチとしての実力を認めていたからだ。 そのジーコの誘いで、マルセロは96年に鹿島アントラーズのフィジカルコーチとなる。以来、鹿島で2年間、その後ブラジルに戻り再び1999年に来日してからは名古屋で4年間、札幌で1年間、そして川崎フロンターレで2年の月日が過ぎようとしている。 「チームに入ることは普通にできても、長くそのチームに所属するということは簡単なことではない。そこをジーコは評価してくれたんだと思う。僕自身も、せっかく所属したチームに対してはできるだけ長くそのチームに貢献したいし、『今』だけじゃなくて将来をいつも見ているんだ。自分がいなくなった先もチームがいい形で成長していけるように、その土台となることをしっかり作って残していきたいからね。とにかくジーコの誘いがあったからこそ、日本に来ていい仕事をすることができた。ジーコには感謝しているよ」 |
ブラジルでも日本でもどこにいてもやることは同じ。所属チームがいい結果を出すことに貢献すること‐。ただ、日本人とブラジル人とでは、やはりフィジカルに違いがある。マルセルいわく、日本人は概してパワーが足りないという。そのため、とくにパワーをあげるためのトレーニングは、ブラジルにいたときよりも力を入れて選手たちに取り組ませている。例えば、砂場でのトレーニングがそう。鹿島と名古屋にはなかったため、マルセロの要望で砂場のトレーニング場を作らせたという。 |
「試合を観ながらいつも考えているんだ。例えば、試合でいつもよりパスミスが多かったとする。そうすると、その翌週のトレーニングではパス練習を取り入れたメニューを取り入れる、といった具合にね。昔はフィジカルコーチといっても、ただ単に走ったり筋トレをさせたりと鍛えるだけだったけれど、いまはそういう時代じゃない。監督が考えている戦術をトレーニングで補うためにボールを使ったメニューを実践するのがフィジカルコーチの役割でもあるんだ」 「それにね」と言って、マルセロがインタビューではじめてニヤッと笑った。 「あなたも毎日同じ質問をしていたら、飽きるでしょう。フィジカルトレーニングも同じ。選手も毎日同じことをやっていたら飽きてしまうからね。そういう意味でもメニューを豊富にもっているんだ」 そういえば、中村憲剛が言っていたことがある。 「マルセロは、とにかく練習に同じネタがない。だから、飽きないよね」 9月28日。練習場を訪れると、別メニュー中だった長橋康弘がマルセロの指導を受けているところだった。ストレッチを終えた長橋に聞いてみた。 「例えば、きょうみたいに別メニューでトレーニングするときも、単にフィジカルをあげるためだけじゃなくて、サイドの選手によくある動きを入れてくれる。マルセロのそういうところは、すごいと思う」 ひとりひとりに真摯に対応するフィジカルコーチが、成長するフロンターレに与えた影響は計り知れない。
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