2007/vol.07
全体的におとなしい印象の選手の多いフロンターレにあって、加入当初からその存在感は際立っていた。ゴールパフォーマンスにせよ普段の言動にせよ常に強烈な個性を発してきた。そしてその立ち居振る舞いを見て、芯の強さと揺るぎない自信の存在を想像した。
テセにインタビューをした日。何気なくケンゴに尋ねてみた。
「テセのエピソードですか? ちゃんと人の話を聞くように言っておいてください」とケンゴは笑った。何の変哲もない話だが、この中にテセという選手の本質が詰まっていた。
テセの生まれ故郷は名古屋市。1984年3月2日に生まれたテセは、幼稚園時代にはすでにボールを触っていたという。ちょっとしたスクール的なものだったというが、そこでサッカーと出会った。
小学校は愛知朝鮮第二初級学校。サッカーは国技とされていることもあって、小学校の全ての男子がサッカーをする環境があった。小三の途中から自然にはじめたサッカーだったが、ちょうど世の中はJリーグの開幕を控えていたころ。小五になっていたテセは、始まったばかりのJリーグの爆発的な盛り上がりを目の当たりにし、地元のJクラブのユニフォームに袖を通し、そして腕のところに付いていたJのマークに憧れる少年だった。そして「あのマークの付いたユニフォームをいつか着れればなぁ」と漠然と思っていたという。だからこそ「肺に穴が開くくらい走りました」という東春朝鮮初中級学校(日本での中学校)での厳しい練習や、愛知朝鮮中高級学校(日本の高校)の「人生の中で一番きつい練習」の日々を耐えられたのである。
ただプロを意識していた朝鮮大学校時代では、不安な日々を経験する。
「大学は弱かったですね。そういう中でプロはないだろうとも感じていました。ただ、その中でも頑張るしかない。リーダーシップのない自分ができることと言えば点を取ることでした。とにかくプレーで表現するしか無かった」
そうやってがむしゃらにプレーするテセのまわりには、最高のチームメイトがいた。
「まわりはサッカーに対する意識の高い選手ばかりでした。そのまねをして、とにかく頑張りました。そうやって引き上げられたところはあったと思いますね。今振り返ると結構頑張っていたんじゃないかと思います。もちろんシュート練習も頑張りました。(プロ入りするための)不安と焦りの中で、無我夢中でボールを蹴ってました」
だからフロンターレからのオファーを受けた時は「かなりうれしかった。うれしいどころではなかった」という。
ただ、そんなうれしさは入団と同時に吹き飛んでしまった。生来の心配性が今でも継続しているのか、フロンターレに入団しても悩みは尽きないという。
「いろいろ悩み事が多くて、考える時は一日中考えてますね。もちろん主にサッカーの事なんですが、たとえば前の試合はキープがイマイチだったなぁとか。そこでどうやったらキープできるのかとか。体の使い方か? なんて考えています」
ただそうやって悩み抜き、サッカーを追求し続けたことはムダにはならなかった。ルーキーイヤーの第13節の鹿島戦でプロ入り後初ゴールを決めると、あまりのうれしさにやろうと決めていたバク転をし忘れてしまい、そしてうれし涙を流した。試合後には、プレー中に裂傷を負い、血で染まった包帯が痛々しい中、その頭部の治療を後回しにして応援に駆けつけたサポーターに謝意を伝えた。もちろんストライカーとしてプロサッカー選手の道を選んだテセにとって、戦いの舞台での初めてのゴール。それも強豪鹿島とのアウェイマッチにおいて、ゴール前で素早く反転して決めたスーパーな得点である。涙を流すほどにうれしかったのも理解できる。しかし、単純にうれしいだけが涙の理由の全てではなかった。
「自分の中で悩んでたんですよね。7節の広島戦で外れて。クロさん(黒津勝)が2点とった時なんですが、ずっと入って外れてということを繰り返してて、それでオレどうなんだろうって思ってて、その時に広島戦に外れてしまって。その時はケガ人が多くて、今日は入るだろうと思ってたんですが、それで外れたのがすごいショックで」
ただ、チームメイトには異変を気付かれたくなかった。テセは平静を装った。
「発表後の練習では態度に出さず、試合メンバー外の練習とか普通にやって、帰りも普通に強がりながら飯を食って帰ったんですが、家に帰り着いて一人になって『あー』って落ちこんでた時にお母さんから電話が入ったんです。まあ、いつものメンバー入りを確認する電話だったんですが『どうだった?』って。それで泣いてしまって。号泣でした」
そもそもテセは、常に自分とチームの契約について悩んできていた。
「本当にオレはこのチームで必要とされているのかなって思っていて。考え過ぎなんですけどね。1年目でそこまで結果を出すというのは、そんなの難しい事なんですけどね。だけど考え込みすぎてた。それで前期、ずっとクビになったらどうしようって考えてましたからね」
経営と強化部の両輪がしっかりとしているフロンターレはもちろんの事、ごく一般的なJの他クラブにおいても、新卒で獲得した選手に関しては1年で契約を打ち切ることはまずないし、もしそれをやってしまったら、それはクラブとしてのあらゆる意味における非力さを露呈する事と同義となる。それはクラブとして恥ずべき事であり、将来的に有望な選手を獲得しようとした場合の大きな障害となりうる。そうしたJクラブにおける常識について説明し、なおかつ試合にも途中交代ながら出続けているという事実を根拠に「だから心配することはない。大丈夫だと思うよ」と告げてもなお、テセはその不安から脱しきれずにいた。そんな不安定な精神状態の中でのメンバー外の通告に、生涯はじめてという悔し涙を流した。そして、その涙があったからこそ、鹿島戦でのゴールの意味は大きかった。そしてこの鹿島戦を境に、テセはプロとしてプレーしていくことに自信を深めていったという。
「その鹿島戦から新潟戦あたりまでは気持ち的に余裕が持てました。鹿島戦で初ゴールを決めてから8試合くらい連続で出て、そこら辺で自信がつきました」
ルーキーイヤーでのリーグ戦出場は16試合で、得点は1点。昨季J1最多得点をマークした攻撃陣の存在を考えれば、プロ1年目ながら残したこの成果はまずまずのものだと言える。ただ、レギュラーを確保した訳ではないという現状を正確に把握した上で、それに満足しない姿勢をのぞかせる。
「だからといって満足している訳じゃないんです。課題がありすぎて…。まずはムラを少なくしないと。調子の上下の差が半端じゃない。いい時は全然通じるんですが、悪い時にどれだけいいプレーができるのかなんですよね。落ち込んだ時の限界を作らないといけない。それがないから悪い時は中学生みたいなプレーになってしまう。アマチュアレベルのミスを繰り返してしまう」
常に自問を繰り返し、サッカーと真摯に向き合ってきたテセだが、前述の通りその姿勢は時に刃のように彼の心を傷つけた。そもそも好不調の波があるのは選手としては仕方ない事であり、必要以上に悩むことはなかった。ただ、そうやってサッカーに取り組んできた事で高い水準で自己分析ができているのもテセの特徴だろう。たとえば明らかにコンディションの悪かった試合について質問したところ、こんな分析を口にしていた。
「アップに課題がありました。プロに入って脂肪と筋肉の両方が付いたみたいで、乳酸がたまりやすい体になっているのもあると思います。また、プロになって今まで経験してきた練習とはちがい量よりも質が問われるようになった。だから自分でトレーニングするしかない。試合に出て、体が動かなくてダメというのが一番ダメじゃないですか。プレーの技術的にダメだというのは、それを直せばいいんだけど、コンディションとか太ったとかでダメだってのはもったいないので、練習後に走るようにしてます。アップの前にも一人で走ってます。メンバーに入った時は、みんながハーフタイムに球を回しているのに、自分だけペナルティエリアの中でダッシュして、観てる人の中には『仲悪いのかな?』って思っている人もいると思うんですがそうじゃないんです。
ただ、不調の原因はそれだけじゃないとも思っています。体が動いてないから動き出しも遅いと感じるし、もちろん技術的な所もある。それはキープの質だったりドリブルの質だったりですね」
常にサッカーと向き合ってきたからこその自己分析であり、それがあるから改善も成長もできる。悩みながら、考え込みながら、プロ1年目の昨季を戦ってきたテセだが、ようやくシーズン終盤に試合への入り方が見えてきた。
「去年を振り返って冷静に考えると、緊張というのはあったのかなと思います。その時は緊張してないって自分に言い聞かせているんですが、やっぱりあれだけの大観衆の中で自分のプレーにみんなが一喜一憂してくださる訳じゃないですか。自分がダメだったらため息が聞こえてくるし、ヤジも聞こえてくるし。いいプレーをしたら歓声が上がるし。そういうファンの声の一つ一つに敏感に反応してたというのはありますね。でも、それが最後ら辺になって天皇杯とか、最終戦とかで全然なくなって吹っ切れました」
吹っ切れたという精神状態で臨んだ天皇杯5回戦の甲府戦では、劣勢のチームを後押しする1点を決めてチームを勢いづけた。その流れは今季に入っても維持できており、たとえばACL第4節のホームでの全南戦では前半のできの悪さをプレー中に修正。後半の2ゴールに結びつけている。平常心でプレーしさえすれば、平均水準以上のプレーはできる。そんな手応えの中であとは状況を深く洞察し、それに応じたプレーができるのかどうかが今後、テセが成長するための鍵となるのではないか。たとえば甲府と天皇杯で戦った昨季最終戦での出来事がある。
「1点を返した時に必死だったこともあって、センターサークルに帰りながら一人でガッツポーズしてたんですよ。そしたら監督にめっちゃ怒られて。『お前、球持って来いよ!!』って。せっかく点を決めたのに、監督に怒られて逆効果でした。でも確かに負けてましたしボールは持っていかないとダメですよね」
今、テセと話をしていて一番感じているのが自分目線の発言の多さである。確固たる自我があればこそ、とも言えるが、そんなテセの口からチームの事を思っての言葉が増えて来ないかと待っているところである。つまりそれは、自分の事で手一杯という精神状態を脱し、周りを見る余裕ができることと同じ意味なのだろうと考えるからである。またそうすることによって、プレーの幅も広がりを見せるのではないかとも考えるからだ。
ただ、だからといってテセが成長してこなかったのかというとそんなことはない。1年目には解雇の心配までしていたルーキーは、本人も驚くほどの進化を見せ、2年目の今季は前述のACL第4節の全南戦で2ゴールを決めてヒーローインタビューを受けるまでになる。また、ACL第6節のアウェイでのバンコク大学戦では、試合前の公式会見の場で関塚監督直々に注目選手として名前を上げられるまでになった。その試合でPKは外してしまったが、その経験は彼をさらに成長させるスパイスになるはずだ。そしてそんなテセを、祖国の代表チームは放っておかなかった。
2007年5月25日。川崎フロンターレから一枚のリリースが出された。表題は「朝鮮民主主義人民共和国代表メンバー選出のお知らせ」。2008年に開催される東アジア選手権の予選大会に向けて代表招集されたのである。そのリリースにはこんな本人のコメントが添えられていた。
「自分自身はサッカー選手としてはまだまだ未熟な部分が多いのですが、今回代表に行くことによって、いい刺激と経験と自信を得て、祖国の誇りとチームのために頑張っていきます」
関塚監督がチームを率いるようになって、代表招集されたのは候補合宿やジーコ前日本代表監督時代も含めて6人目。日本代表に招集された選手たちが代表での経験を持ち帰り、フロンターレにチームとしての厚みを作ってきた過去を考えると、今回の代表招集でテセがどんな経験を持ち帰ってくるのか非常に楽しみなところだが、本人は代表招集に浮かれる様子はない。
「代表に選ばれたのはうれしいことなんですが、やっぱりフロンターレで出ていないのでまだまだです。チームで出るのが選手としての原点だと思うし、ただ、このチームでは(FWの層が厚くて)厳しいですが、代表というきっかけはできたので挑戦していきたいと思います」
虎視眈々とレギュラーを狙うテセのプレーは確実にチーム内を活性化させてきた。そんなチームの中で、今度はテセが自己を高める。その相乗効果の中でチームは進化していく。今季の目標であるタイトル獲りに向けて、その活躍に期待したいと思う。
ずば抜けた身体能力を活かしたパワフルなシュート、高い打点のヘディングは圧巻。強引なまでのドリブル突破は相手DFの脅威となるはず。
181cm/80kg
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