2007/vol.15
自信があった。「蹴らせて下さい」。谷口は関塚監督にそう告げていた。
9月26日。アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)準々決勝第2戦。イランのカップ戦王者、セパハンとの戦いは延長でも決着がつかずPK戦に持ち込まれた。「中学の時も高校の時も、1回も外したこと無いんですよ。試合中のPKの場面も僕が必ず蹴っていましたから」。
日本代表のオシム監督の言葉を借りれば「PK戦はサッカーではない」。確かに練習で積み上げてきたものと別のところで勝負は決まる。「サッカー」の実力と反対の結果を生むことも少なくはない。ボクシングのように判定があれば、間違いなくフロンターレはセパハンに勝っていただろう。しかしアジアの頂点を目指したクラブ初の挑戦はここで終わりを告げた。
4人目のキッカーが谷口だった。本人の“立候補”がなくても関塚監督が決めていた。5人ずつで決めるPK戦で、勝負を左右しやすいといえる4人目のキッカーに掛かるプレッシャーは計り知れない。「それでも緊張は全くしなかったですね。蹴るコースも決めてました」フェイントをかけながら左隅を狙って思い切り蹴ったボールに相手GKが飛びついた。
外れた。いや「外された」と言う方が正確だろう。「あのコースに蹴れば絶対外れない自信があったんですよ。でも僕が蹴ろうとしたところに、相手のGKはすごい勢いで飛び始めていた。もうコースを消されていたんです。蹴る瞬間『あっ!やばい』って…」GKに触られたくない意識が、ボールを左ポストの外へ追いやった。両チームで唯一の失敗だった。
涙が止めどなく流れてきた。小学校1年の時にサッカーを始めてから、どんな試合もミニゲームですら負けることが嫌だった。ましてやPK戦。すぐに敗北を受け入れられるはずはなかった。出場したフロンターレ選手のうち、最年少の22歳はロッカールームでうずくまると何人ものチームメートに背中を叩かれた。
延長戦を含めた120分間、最後まで勝負を諦めず走り抜いたことを仲間は分かっていた。「お前のせいじゃない」「しょうがないよ」谷口はその言葉に返事を返すこともうなずくこともできなかった。群がる報道陣の中を早足でかき抜け、誰とも言葉を交わさずバスに乗った。
走り出すバスの外で「谷口!谷口!」というサポーターの声が響いていた。「聞こえていました。でも手は振れなかったです。その時は『もういいよ』って思いました。まあ、落ち込みましたよ」。思い出せば悔しさがこみ上げるが、それをかみ殺し笑いながら語った。
4日後。等々力競技場のピッチで、谷口はJリーグ甲府戦の先発メンバーに名を連ねた。セパハン戦と同じで、攻めても攻めても得点が取れない展開だった。1点を取られ敗北ムードが漂った。
同点に追いつくゴールは、谷口の右足から生まれた。後半ロスタイムだった。「気持ちが入っていましたよ」。1-1で終わり勝ち切れない悔しさはあった。だが4日前にバスの中で聞いた「谷口コール」に今度こそ応えたかった。だから最後まで諦めなかった。試合後のコールは一段と大きく等々力に響いた。「僕にコールをくれた。本当に嬉しかった。フロンターレのサポーターは本当に温かい」
何とも谷口らしいゴールだった。PK失敗という悔しさを、またサッカー選手として大きくなるための材料にしようと言い聞かせていた。「PKを蹴って良かったですよ。自分の中で何かが足りなかったから外したんです。例えば弱さだったり、例えば生活の面を含めて妥協している部分があったり。みんなには悪いけど、すごい反省しました」。
失敗と挫折を繰り返し、プロの座をつかみ、タイトルを狙うチームのポジションをつかんできた男らしい考え方だ。「僕は試合に出られなくても絶対腐らない。失敗してもしょうがないと思って、もっと頑張ろうと思う。僕の一番いいところは、そこかもしれません」倒されても、さらに大きくなって立ち上がる。それが「谷口らしさ」だ。
「らしさ」はサッカー人生の中で、はぐくまれた。決してエリート街道を歩んできたわけではない人生の中でだ。中学時代(横浜F・マリノス・ジュニアユース)にも試合に出られない時期を味わった。だがその時谷口は、居残りでの練習量を増やした。チームの練習が終わると相手を探して1対1の練習を繰り返した。「弱点を補うため」だ。練習場の照明が消えるまでボールを蹴った。監督にも「今日はもう上がれ」と何回も怒られた。
フロンターレ入団の際も挫折があった。横浜F・マリノス・ユースからトップチームへの昇格が自分のために敷かれたレールだと思っていた。高校3年の秋。当時所属していた横浜F・マリノスユースの監督、足達亮氏(現神戸U-21監督)に言われた。「トップに上がるのはちょっと無理っぽいな」。当時トップチームの監督であった岡田武史氏の判断だった。ショックだった。「上がれると思っていた」から。他のチームを探し始めた。
フロンターレの練習に4度参加した。「最初は全然ダメだったみたいです」。1回目から将来性を見抜かれたわけではない。徐々に慣れ、認めてもらった。諦めない気持ちが“合格”につながった。横浜市内のホテルで契約書にサインした。「フロンターレに入れて良かった」今でもその気持ちは忘れていない。
谷口をトップチームに上げなかった決断を横浜F・マリノス内で「もったいなかった」という声が現在ではある。昨年Jリーグのベストイレブンにも選ばれたのだから当然のことだろう。だが挫折を味わい「見返してやろう」という反骨精神があったからこそ、フロンターレで「強さ」のある今の谷口の姿があるのかもしれない。
プロ4年目の今年。谷口にとって悔しい思いを経験することは決して少なくないシーズンとなっている。第2節神戸戦(3月11日)では2枚の警告で退場処分を受けた。2枚目の警告は厳しすぎるとも思える判定で「今でも納得がいっていない」と言う。出場停止が空けた後の公式戦2試合でも先発の座を落とされてしまった。「PKを外したのと同じくらい悔しい」思いだった。
9月23日の柏戦も苦い経験となる試合のだった。4日前に敵地で行われたセパハンとのACL第1戦と先発8人が入れ替わったが、谷口は両方に先発した。しかし結果は0-4の完敗。最初の失点に絡んでしまった。「あれは僕の李忠成(柏FW)選手に対するファウルから始まった失点です。それがFKになって宏樹さん(伊藤)がクリアしてくれたんですけど、そこからのプレーが失点になってしまって。あそこでファウルしたのはいけなかったんです」悔しくてならない。
特別な思いがそこにはあった。責任感を感じていた。憲剛やジュニーニョが不在だった。初先発の養父がボランチのコンビだった。だがナビスコ杯準々決勝で自ら2点を取って甲府に逆転勝ちしたように、勝てる自信もあった。
「柏戦でチームを引っ張っていくという気持ちを初めて持ちました。みんなモチベーションが高かったし、これで結果が出せれば大きなプラスになると思っていました。いろんな気持ちを持って臨んだ試合でした。疲れているとか、やる気が無いとかそういう気持ちは全く無く入った試合でした」思いも寄らず開いた点差はダメージとなった。後にJリーグ側がこの8人のメンバー入れ替えを問題視した。それがなおさら悔しさを増した。
谷口はあまり口には出さないが、北京五輪を目指すU-22日本代表のメンバーから落選したことも胸の内に秘めてきた大きな悔しさのひとつだろう。昨年は負傷の時以外は常にメンバーに入っていたのだから。3月22日。北京五輪アジア二次予選シリア戦に挑むメンバー発表の日。携帯電話の速報サイトを見ると、自分の名前がないことに気づいた。それが最初の落選だった。
反町康治監督は自らの考える戦術に合わないのか。その後も構想には入らなかった。8月の中国遠征で再度呼ばれたが、五輪予選には出場していない。今となっては谷口はメンバー発表の日すら気にならなくなってしまったという。
本来なら触れられたくないであろう話題について口を開いた。
「悔しいという気持ちがないわけではない。でも本当にいい選手は誰が監督でも、使われるんですよね。ジーコとかマラドーナとか、いい選手ってそうですよね。そういう選手になりたい。僕はそうじゃないのに『なんでだよ』って言うレベルじゃない。それだけの実力がないんです。それだけははっきり言えます」
谷口の勝利ヘ向かう気持ちと、得点感覚は必ずや代表にとって必要となる日が来るだろう。谷口の長所の1つはなんといっても得点感覚と勝負強さだ。昨年ボランチながらJリーグで13得点を取った。そのうち、6点が決勝点、4点が同点に追いつくゴールだった。ほとんどが試合を決める大事な場面で取っている。
昨年12月のアジア大会でも3試合で2点を取った。決して華麗なゴールではなかったが、どんな形でもゴールにねじ込めんでくる独特の魅力を披露した。谷口本人も代表入りを諦めたわけではない。諦めの気持ちを持つことはない。「オリンピックに出ることは夢」なのだから。
かつては自らも所属し海外遠征もした代表チーム。仲の良い選手も多い。ポジションは同じボランチでライバルにも当たる梶山陽平選手(FC東京)は友人でもある。先月17日のカタール戦で骨折の重傷を負うとすぐに電話もかけた。そんなメンバーたちと一緒に五輪に行きたい。それが素直な気持ちだ。
「今は代表は視野に入っていないですけど密かに狙ってます。『何で俺を呼ばないんだ』そう言えるような選手になっていきたい。もっと練習しようと思います」
はい上がるためにもがき苦しむ。13得点を取った昨年に比べて決して満足のいくシーズンになっていないのは事実だ。「去年は思い切って前に出られた。そうしたらあれだけ点を取れた」。課題が残った守備面を今年は重視した。「守備を今年は頑張ってみようと思っていました。去年よりいろいろと考え過ぎてしまった部分もあります」と言うように、レベルアップするために当たった壁だ。
このままでは終わらない。こんなに純粋に、時には無邪気にサッカーが好きでサッカーに取り込んでいる22歳は決して多くはないだろう。うまくなりたい。いい選手になりたい。そのための努力が谷口を何倍も大きな選手にするだろう。
自分がミスをした時。谷口はその試合の映像を取り寄せ、繰り返し見る。「原因を追及するんです。技術的なミスは仕方ないですけど判断ミスは反省しないといけない。でも、もっとミスをしてもいいと自分に言い聞かせてもいます。憲剛さんを尊敬しています。ミスを恐れないところを。思い切りパスを出したり前に出たり。僕は安全なところ、安全なところにいってしまう」
10月7日の横浜FC戦。谷口は思い切りのいい攻撃参加で唯一の得点の起点になるパスを出した。90分間走りきり体を張り、厳しい試合をものにした。様々なことを考えてバネにして、そして練習を重ね、一つレベルの上がった谷口が今少しずつ見え始めている。
「僕、またPK蹴りますよ。チャンスが来て蹴らせてくれるなら。逃げていたら一生蹴れなくなりますからね」サッカー人生で起こるすべてのものに谷口は真っ向から勝負を挑んでいく。
ボールのあるところに谷口あり。豊富な運動量と抜群の
ボディーバランスで、相手の攻撃の芽を摘む職人。
ゴール前での決定的な仕事も多い、川崎のロイ・キーン。
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