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ピックアッププレイヤー

2009/vol.08

〜ヘッドコーチ/高畠 勉〜

ピックアッププレイヤー:ヘッドコーチ/高畠 勉

1996年、富士通川崎サッカー部のコーチとして指導者の道をスタートさせ、14年目のシーズンを迎えた高畠勉。クラブのプロ化から一度目のJ1昇格、そして降格といった浮き沈みを、コーチ・スカウティング部門や育成部に身を置きながら見続けてきた。2001年から再びトップチームのコーチに就任し、2004年からは関塚監督のもとで手腕を発揮。再びJ1昇格を果たし、いまや優勝争いに絡むほどの力をつけたチームを陰で支えている。今シーズンはヘッドコーチというポストに就き、関塚監督とともにタイトル制覇に挑む。

1フロンターレのすべてを知る男

「監督は最終決断をするのが仕事。選ぶこと自体はすべてが正解で、間違いはないんです。ただ、その結果については監督が責任を負わなければいけない。チームを動かしていくことの責任の重さは、コーチとは雲泥の差ですよね。あとは戦術やメンバーだけではなくて、それ以外の部分も決めなければいけない大変さがありました。試合から逆算した練習日程や遠征のスケジュールもそうやし、当然、自チームや対戦相手のこともやらなければいけない。周りにいろいろとサポートしてもらっていましたけど、グラウンドレベル以外の部分は初体験だったので慣れるまで苦労しましたね」

 昨シーズン、関塚監督の体調不良によるチーム離脱の穴を埋め、クラブの危機を救った。最終的にリーグ2位でフィニッシュできたのはチームの実力あってこそのものだが、もしフロントが監督という重要な役割を高畠に託していなかったら、一体どのような結果になっていただろうか。もしかしたらチームは力を出し切れないまま、ずるずると順位を下げてシーズンを終えていたかもしれない。実際に選手たちからは「ツトさんだったからこそ、みんなでひとつになって乗り切ることができた」と、当時の状況を振り返る。

「ツトさんとは長い付き合いですけど、最初からいろんな相談に乗ってもらっています。プロとしてのノウハウの1から10まで教わった人。大阪弁でずばっと意見してくれるし、川崎にいてツトさんの関西弁というのは独特というか、個人的にもすごく支えになっています。クラブのことを一番知っている人でみんな信頼しているし、サッカーから離れると兄貴的な存在として一緒に乗ってくれる。うちのチームカラーを地でいってる人だし、間違いなくフロンターレになくてはならない存在ですね」(伊藤宏樹)

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6「去年は監督と選手という間柄だったけど、俺がプロに入ったときからツトさんとの関係性は変わらないです。監督のときでも無理をしている感じはなかったし、どんなときもいたって自然体の人。いろんなことに気がつくし、一歩引いて冷静な目でチームを見ることもできる。ツトさんなりのサッカー観をしっかりと持っていて、こっちが何かを質問すると『そうだね』だけじゃなくて、『だけど、こういう答えもあるぞ』と返してくれるんですよ。去年はツトさんがセキさんの後を引き継いだからこそ盛り返せたと思うし、これはチームの誰しもが認めるところでしょう。いまだから言えますけど、もし他から別の人が来たらうまくいかないんじゃなかと思っていました」(中村憲剛)

 予期していなかった突然の監督就任。2008年は高畠にとって大きな変化のあったシーズンだった。いや、周りの見る目が大きく変わった1年間だったと言った方が正しいかもしれない。コーチから監督へのスライドというのは、チームや選手を把握しているメリットがある反面、難しさもある。選手の立場からすれば、コーチにはグチをこぼせても、監督には直接言えないこともあるからだ。当然ながら、選手全員が試合に出たいという気持ちを持っている。そのなかで監督は出場メンバーを決めつつ、チーム全体のモチベーションを下げずにまとめていく力が必要とされる。だが、当の本人はそういった重圧を感じさせることなく、いつもどおりに淡々と監督の役割をこなしていた。

「コミュニケーションについては別段意識することはなかったですね。いつもどおりです。むしろ選手の方が気を遣ってくれたんじゃないですか。ただ、監督の場合はチーム全体に行き渡るように話をしなければいけない。コーチの場合は選手個々に対応したり、フォローをすることが多いですからね。そういった意味では、自分の話がみんなにしっかり伝わってるのかなと。けど、練習や試合のパフォーマンスを見ていると、ちゃんと伝わっているなあとは思っていました」

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苦しいときこそ成長するチャンス

 昨シーズン、印象に残ったゲームを訪ねると、やはり第8節・柏レイソル戦(○3-2)という答えが返ってきた。高畠が代行から正式に監督に就任した最初のゲームだ。前半、柏に2点リードされる厳しい状況のなか、後半に3点を返して大逆転。2008年のターニングポイントになった試合なのは間違いない。試合後、選手たちからは「ハーフタイムにツトさんから喝が入って、自分たちの力を信じて戦うことができた」という声が聞かれた。自分たちのリズムを取り戻したチームは、ここから4試合連続逆転勝利という離れ業をやってのける。

「前半、相手のやりたいサッカーにはまってしまい、ミスから失点。自分たちの実力を発揮できていませんでした。そこでハーフタイムに選手たちに『このままでええんか!』と言いました。まぁ、大阪弁だったのでピリッとしたんじゃないですか。意識して喝を入れたというわけじゃなかったんですけどね」

 だが、4連勝後、浦和レッズ、大宮アルディージャとホームで連敗。中断期間明けのアウェイゲーム、アルビレックス新潟戦でも破れ、リーグ戦3連敗を喫している。逆にシーズン中に最も苦労したのはこの時期だったそうだ。

「2008年を振り返ったときに、ターニングポイントになったのは終盤戦の清水戦(第29節●0-2)や大宮戦(第31節●1-2)と言われますけど、あのときはうちの内容が良くなかったし、相手もうちをかなりリスペクトして戦ってくれていたので、ある意味仕方ないかなと。まぁ、優勝するためにはそういう試合を引き分けられるようにせなあきませんけどね。ただ、内容が悪くて負けるのはしゃあない。それは必然的な敗戦なわけですから。それよりも俺自身は、1巡目の浦和戦と大宮戦の方がポイントだったと思っているんですよね。このときはチームの調子が良くて勢いがあったのに、浦和の堅守を崩しきれなかった。大宮戦なんかは前半はうちのワンサイドゲームやったのに、後半巻き返されて逆転負け。うちの勢いがあっただけに、きっちり勝っておきたかった試合でした。相手にしてやられた部分もありますけど、細かい部分ではうちの寄せが甘かったり、ちょっとしたところで相手にスキを見せたりと、失点すべてが偶然ではなくて必然で原因があったんです」

6 苦しいときでも落ち込んだ姿を周りに見せず、つねに前向きでいられるのが高畠の持ち味のひとつだ。そこにはサッカーを人生になぞらえ、「人生、苦しいときが上り坂」を座右の銘とする高畠の人生哲学がある。

「なかなか自分の思いどおりにいかへんのが世の中というか、人生じゃないですか。じゃあ行き詰まったときに投げてしまうのか、それとも諦めずにうまくいくように努力するのは自分次第。物事をうまいこといくようにして、面白おかしく楽しい人生にするのは、自分自身やと思うんです。選手の実力はタイトル穫れるだけの能力がある。じゃあ、その力を引き出すことを専念しようと、それだけを考えていました」

 また高畠はもうひとつ印象に残ったゲームとして、第24節・鹿島アントラーズ戦(△1-1)を挙げている。アウェイで強敵と互角に渡り合ったゲームだ。

「約2週間という準備期間があったなかでのアウェイゲーム。お互いにガチンコでレベルの高い試合ができたなと。結果は1-1のドローでしたけど、最後どちらが勢いがあったかというと、うちの方が押していたと思います。自分たちのサッカーをやりきりましたし、選手たちも自信になったんじゃないでしょうか」

 この頃には、フロンターレは長年採用してきた3バックから4バックへと移行している。中断期間でトレーニングを詰み実戦で熟成度を高めてきた新システムが鹿島のような相手に通用したのも、チームとしての自信を深めた理由のひとつだろう。

「ただね、システムは3バックでも4バックでもどちらでもいいんですよ。要は勝つためにどうすればいいかということだけ。うちのメンバーで一番パワーを発揮できて、なおかつ観ている人が感動できるようなサッカーをやりたいと思っていました。4バックをやりたかったというわけではなく、自然の流れというか、必要だと思ったので変えただけです。点を取りにいくオプションとして使っていた4-3-3を長い時間でも安定して使えるようにキャンプでしっかりやりました。日本代表も4バックですし、代表組は経験があるのでチームに戻ってきても大丈夫だろうと。そのあたりはある程度予定どおりに進めることができました」

 高畠は選手の特性を最大限に生かすことを最優先に考え、1+1が2ではなく、3や4になることを目指した。最後の勝負を決めるのは個の力だが、ベースになるのはグループであり、チームの力だ。さまざまなシステムや選手の組み合わせを試しながらシーズンを進めてきた高畠の監督としての集大成は、リーグ戦最後の3試合だった。ガンバ大阪、ヴィッセル神戸に4-0で大勝。他力ながら優勝の可能性を残し、最終戦となった東京ヴェルディ戦も勝利した。

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「今シーズンやってきたことの集大成として、チームがどこまで成長したかというのを見たかったし、成長した姿をサポーターに見せたいという感じでやっていました。天皇杯は負けてしまいましたけど、リーグ戦最後の3戦、最終的にはいい形で終われたと思っています。

 自分としては、どんな状況でも勝ちにつなげられるチームを作りたかった。堅守速攻、だめなら遅攻、パスサッカーで崩す。分が悪ければ守ればいいし、優位な状況ならばボールをポゼッションして引いた相手も崩したい。状況に応じたサッカーができるチームが理想です。そういう意味では最後の3試合ではそれぞれ違う展開でしたけど、目指すところのサッカーはできていたと思います。選手たちもまたひとつたくましくなったし、ここまでやってきたことを出すことができたかなと。個人的には2位だったんで満足ではないんですが、やりきったというか、自分のやりたいことをやらしてもらったシーズンでした」

 川崎フロンターレの2008年のリーグ戦成績はこのような結果となった。

18勝6分10敗(勝点60)2位
65得点(1.91)42失点(1.41)得失点23

リーグ前半戦(1節〜17節)
8勝2分7敗/28得点(1.65)26失点(1.53)

リーグ後半戦(18節〜34節)
10勝4分3敗/37得点(2.18)16失点(0.94)

 数字として目標としていた「平均得点2点以上、平均失点1点以下」を、後半戦に関してはクリアすることができている。シーズン途中からの監督就任ということを考えれば、この成績は十分なものと言っていいだろう。

「最終的には2位で終われました。周りからはよくやったと言われますが、自分としては優勝できなかったという思いの方が強いんです。うちは勝って当たり前のチームとも見られているわけですから。ただ、選手たちはようやってくれたと思います。いい経験をさせてもらいましたし、選手、そして後押ししてくれたサポーターには感謝の気持ちで一杯ですね」

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現状に満足せず、さらなるステップへ

「2004年、関塚が監督に就任したときに、生え抜きの高畠をそのままコーチとして残せたのはクラブとしての大きな財産です。J2からJ1に上がってきたクラブというのは、1年目にいい成績を残せたとしても、得てして2年目が難しいシーズンになる。残留できたことでどこかで安心感が出てきてしまい、停滞してしまうことが多いんです。でも、そこでわれわれがJ1昇格2年目でああいう結果(2006年リーグ2位)を出せたのは関塚、そして高畠をはじめとするコーチ陣が頑張ってくれたからこそ。

 これまで高畠はコーチとして監督の補佐的な役割を担ってきましたが、これからは関塚監督のもとで戦術的な柔軟性や応用力を学びながら、一緒になってチームを動かしていく役割を期待しています。将来的な監督候補の1人であることは間違いありません」(福家三男強化本部長)

 2009年、関塚監督が復帰し、高畠はヘッドコーチとして新たなスタートを切った。シーズンの入り方に関してはこれまでとほぼ変わらないが、より監督の立場でチームを見られるようになったと語る。

「監督を経験してその大変さがわかったので、そういった部分をふまえて考えられるようになりました。コーチとして選手寄りの目線からも見れるし、監督に近い立場で物事を考えることもできる。それが自然にできるようになりましたね」

 今年、高畠は結果を出すことの難しさを感じる一方で、若い選手の成長に手応えを感じている。今年、選手28人の少数精鋭でスタートしたのは、出場経験の少ない選手を積極的に使っていくというクラブの新しいコンセプトだ。

10「結果も出していかなあかんし、長期的な視野で育成しながら強化もしていくことも必要。現状維持ではどうしても停滞してしまいますからね。主力メンバーを確立させつつ、抜けたときでも力が落ちないようなチームにしていかないとあきません。結果に結びつかないゲームもありますが、誰が出ても攻撃力を落とさず、うちらしいパワーのあるサッカーはやれるようになってきたんじゃないでしょうか。そこはフロントとも考えを合わせながら、チームの方向性をどうとらえていくのかというところです。そういった部分では若い選手がメンバーに入ってきていますし、ここまで順調にきてるかなと」

 フロンターレは他のJ1のチームと比べると比較的新しいクラブだが、それでも毎年メンバーを変えながら歴史を作ってきた。そういった変遷を目の当たりにしながら、高畠自身も指導者としてのキャリアを積み重ねている。昨年は監督を務め、チーム作りの大変さを改めて知った。タイトルを穫らなければいけないという気持ちが、さらに強まったのではないだろうか。

「一昨年あたりからフロンターレは優勝候補といわれるようになりました。クラブ立ち上げの頃を考えると、感慨深いですよね。J1優勝なんて夢のまた夢だったんですから。でも、いま現実に手が届くところまできているわけで、ここで絶対につかみ取らんとあかんと思ってます。よくぞここまできたなという思いはありますけど、満足していたらそこで終わってしまう。選手もクラブも着実に成長している。もうひとつ上にいくために足りないのは『タイトル』だけ。それはみんなわかっています」

 進化をしていく過程で、ときには痛みをともなうこともある。しかし、新陳代謝を繰り返していかなければ、チームは強くならない。そういった全体での取り組みも行いながら、いかに右肩上がりの成績に持っていけるか。みんなが同じ絵を描きながらぶれることなくチーム作りを進めていけば、間違いなく上に上がっていくことができると高畠は確信している。

「どういうサッカーをやりたいのか、どういうクラブにしたいのか。そういったヴィジョンは現場だけじゃなくて、クラブスタッフとサポーターが一緒に作り上げていくものなんです。この前のACLグループリーグで浦項に敗れて2位通過になってしまいましたけど、それでもサポーターは最後までエールを送ってくれました。本当にありがたいことですよ。

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 J2での苦しい時期が続いて、ようやく這い上がってここまでくることができました。今年までチームを右肩上がりに持ってこられたのはやっぱりセキさん、監督の力が大きいんです。だからこそ、今年は絶対にタイトルを穫らなあかんと思うんですよ。J1でもう5年目ですし、とにかく今年は結果を出したい。これしかないですよね」

 「クラブの成長とサポーターの想いに応えるためにも、これまでやってきたことを形にせなあかん」と力強く答えてくれた高畠の視線の先には、いま現在のフロンターレだけではなく、その未来像をもとらえている。

profile
[たかはた・つとむ]

富士通サッカー部で選手時代を過ごし、'96年コーチに就任。以来10年以上にわたってフロンターレを見つめつづけた。関西弁を繰る親しみやすいキャラクターで、選手・スタッフからの信望も篤い。2008シーズンは、療養中だった関塚監督を引き継ぎ、チームをリーグ準優勝へ導いた。1968年6月16日、大阪府高槻市生まれ。
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