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ピックアッププレイヤー

2010/vol.06

ピックアッププレイヤー(番外編):フィジカルコーチ/矢野由治

昨シーズンからフロンターレのフィジカルコーチを務める矢野由治コーチ。
経験に基づいた多彩なトレーニング方法で選手たちのコンディションを管理し、チームの根幹を支えている。
運動能力に関する知識も豊富で、その引き出しの多さからチームスタッフの信頼も厚い。
シーズンを通してハイパフォーマンスを維持するための体力強化は、
強いチームを作り上げていくためには不可欠な要素だ。

1「将来的には教員になりたかったんです。サッカーの指導者といった方が近いかな。僕が学生の頃はサッカーで飯を食っていくという考えがなかったですから、まず身近な指導者というと高校の監督になるので、最初は自分もそういった感じでやれたらいいなと思っていました」

 18歳の頃まで地元長崎で育った矢野コーチ。両親が教員だったこともあり、高校生の頃から将来は体育教師、サッカー部の顧問のような仕事につきたいと考えていた。そして関東大学サッカーで高いレベルを維持してきた早稲田大学ア式蹴球部のOBであった高校サッカー部の監督に影響を受け、1年の浪人生活を経て早稲田大学の門をたたいた。

 早稲田大学ア式蹴球部の同期には奥野僚右(現鹿島アントラーズコーチ)、池田伸康(現浦和レッズジュニアユースコーチ)。ひとつ下の世代には相馬直樹(現FC町田ゼルビア監督)と、後に同じ指導者の道へと進んだ仲間がいた。そして3年生時からは監督に関塚隆(前フロンターレ監督)が就任。そういった人の縁が矢野コーチを指導者の道へと導いていったのかもしれない。

「関塚さんは本田技研で現役を退いてからすぐに早稲田の監督になられたんですが、日本のトップリーグを肌で感じていた方だったので、指導方法や考え方、そしてサッカーへの打ち込み方に強い影響を受けました」

 矢野コーチが大学に在籍していた当時はまだJリーグが発足しておらず、日本サッカー界にはフィジカルコーチの概念がそこまで浸透していない時代だったそうだ。だが早稲田大学でプレーしたとき、関塚監督のそばでフィジカル面からチームをサポートしていた先輩の姿を見て、違った側面からのサッカーとの関わり方を知った。

「僕は選手としての実績がなかったので、そのままコーチになるには限界があると考えていました。そんなときにフィジカルコーチの存在を知り、こういう関わり方もあるんだなって。大学院ではコーチ学をやっていてバイオメカニクス(生体力学)や運動生理カリキュラムなどを学んでいたので、当時の監督にお願いをして在学中からフィジカルコーチをやらせてもらいました」

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1 大学院を卒業後、東北電力サッカー部からクラブチーム化にともない改称したブランメル仙台(現ベガルタ仙台)のフィジカルコーチに就任。2年間の在籍の後、東京ガスサッカー部(現FC東京)へ。JFL時代からJ2、J1と着実にステップアップしていったクラブで10年間、フィジカルコーチを務めた。

「仙台でも東京でも、当時は社会人とプロ契約という立場の違う選手が同居していて、いろんな人がいました。会社にいきながらサッカーに人生を賭けていた選手もいたし、純粋にサッカーがうまくなりたいという高いモチベーションを持った選手もいました。でも、これは学生を対象にしていたときからそうなんですが、どんな立場でもカテゴリーでも、勝ったり負けたりしながら選手たちと一緒にチームを築き上げていく充実感、そして選手が成長していくことに喜びを感じていました。その思いは昔もいまも変わりません」

 さらに北京オリンピックに出場できる世代の日本代表チームが立ち上がったとき、反町康治監督(現湘南ベルマーレ監督)の下でフィジカルコーチを担当。日々練習のサイクルをともにするクラブチームとは違い、限られた時間のなかで選手のコンディションを整えなければならない代表チームの難しさも経験した。

「代表の場合、練習試合や遠征に合わせたタイミングで選手たちが集まるので、試合に対しての準備をどうするかという要素が大きかったですね。準備期間が3日しかないときもありましたから。活動時間が短いなかスタッフ間で話し合いながら、試合に向けてコンディションを整えるためのトレーニングの質や量を考えていきました。勉強になることもたくさんありましたし、代表チームの難しさも経験しました」

 2008年に北京オリンピックを経験し、翌シーズンから旧知の間柄だった関塚監督や里内猛フィジカルコーチ(ともに当時)から豊富な経験と誠実な人柄を買われ、2009年から川崎フロンターレへ。里内コーチの下で、おもにリハビリから上がってきた選手個人のコンディション調整を担当した。そして今シーズンからは矢野コーチが先頭に立って、チーム全体のコンディショニングを管理することになった。境宏雄アスレチックトレーナーをはじめ、メディカルスタッフが包括的に選手のコンディションを見るようになり、ボーダレスで現場をサポートする体制が整ってきている。

「選手のコンディションに関しては自分に責任があるんですが、メディカルスタッフが一緒になってチームをサポートしてくれているので非常に心強いです。今年はトレーナーの境さんが去年僕のやっていた役割を受け持ってくれている部分が大きくて、そのウエイトが大きいぶん、トレーナーの皆さんに助けてもらいながらトータル的に選手のコンディション作りを行っています」

「矢野さんはすごく真面目な人。でも、意外と絡みたがりの人だと思う。選手に声をかけてコミュニケーションをとってる姿をよく見るし。オリンピックで一緒のときは矢野さんは完全にフィジコの仕事だったから絡みは少なかった。フロンターレにきてからかな、深く話すようになったのは。矢野さんのメニューはアップの方法ひとつをとってもいろいろあるから飽きないですね」(谷口博之)

「矢野さんは理論派ですごく勉強家。サッカーのことを知ってる。海外のサッカーをよく観ているし。これまでフロンターレにいたコーチにはいないタイプなので、チームに刺激を与えていると思いますね。あと、走れる。アップのときにいつも選手の前で先頭を切って走っていますから。年齢を考えたらすごいことだと思う」(伊藤宏樹)

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 サッカーエリートの集団であるプロ選手からすれば、ボールを使わず黙々と反復動作を続けなければならないフィジカルトレーニングは積極的に取り組みづらいメニューのひとつ。クラブによっては、フィジカルトレーニングに対して露骨に嫌な顔を見せる選手も多いと聞く。だが、フロンターレの選手たちはきつい練習のなかでも声を出しあいながらチームを盛り上げ、高い意識を盛って自分に投資をしてくれていると矢野コーチは笑顔を見せる。

「そういったところはフィジカルコーチとしては非常にやりやすいですね。僕が強制的にやれといっているわけじゃなくて、最初からそういう雰囲気ができあがっていました。たぶんそれはフロンターレというクラブのトレーニングに対する取り組み方として、長年をかけて築き上げてきたものなんじゃないかなと感じています。プロだから当たり前だろうという人もいるかもしれませんが、当たり前のことを当たり前にやるのは意外と大変なことなんですね」

 また同じサッカー選手でも若手とベテランでは体力や経験に差があるため、トレーニングのアプローチ方法も若干変わってくる。のびしろのある若い選手に対しては、どこまで踏み込んでトレーニングを行えるか。自分の体のことをよく知っているベテランに対しては、ぎりぎりのラインでトレーニングを課しながら折り合いをつけていかなければならない。

「考え方はいろいろあると思いますが、自分のコンディションがわかっている選手に合わせると若い選手は物足りないだろうし、逆に若い選手に合わせると上の世代は多少きつくなってくるのかなと。ただその点に関しては、ツトさん(高畠監督)やメディカルチームで個別にプラスしたり抜いたりしてくれているので問題ないです。全体練習が終わったあとに今野コーチ、鬼木コーチ、エジソンコーチが選手たちを捕まて、追加メニューをしっかりやってくれていますし。選手自身もグラウンドに残って自主的に練習をしたり、クラブハウス内でウエイトトレーニングをやってくれています。選手たちは必要十分なものをこなしつつ、不足している部分の上積みに対しても積極的に取り組んでくれていますね」

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 体力トレーニングとひと言でいっても、その目的や種類は非常に多岐にわたる。年間を通して必要最低限やらなければならないメニューは何なのか。逆に試合間隔が詰まりコンディション維持が難しくなったときに、短期間で効果的な方法は何なのか。いろんなアイディアやトレンドを取り入れながら、矢野コーチはメニューを考えていく。

「サッカーとフィジカルの関係性というのは、見る側面によって全然違うと思います。ベースの部分ではありますけど、そこが面白いところなんですよね。フィジカルの向上イコールサッカーがうまくなるという訳ではない。でも、サッカーのパフォーマンスの向上にはつながる。答えはひとつではないんですが、フィジカルコンディションは土台であり、真ん中であり、端っこでもある。サッカーのいろんな部分に関わってくるのは間違いありません」

1 またフィジカル面から見た近年のサッカーは、よりフィットネスのレベルの高い選手が活躍する傾向にある。クイックネスと献身性といったキーワードも外せない要素になってきた。そういった流れに応じた柔軟性のあるトレーニングが必要と矢野コーチは話す。

「速い展開のなかでも正確なボールコントロールができる、戦術理解度があり判断が速い、戦術的ディシプリンのなかで自己犠牲をともないながら反復運動ができるなど、要素は数えたらきりがないです。ひと昔前はスペースと時間があるなかドリブル突破からはじまっていたものが、現在ではスペースレスでタイムレス、判断と速い反応が問われる部分が多くなってきています。その流れにともなって、フィジカル的に何が必要なのか。そこはつねに考えています」

 大学にはじまり、社会人リーグ、JFL、J2、J1、そしてオリンピック代表と、さまざまなフィールドで自分の仕事に打ち込んできた。その1年1年の積み重ねが経験となり、矢野コーチの財産となっている。

「理論やトレーニングの種類は毎年変わっています。大学院のときからキャリアをスタートさせて、1年1年メニューや方法論は違っていますね。それぞれの監督のニーズが違うというのがありますし、サッカーの発展にともなって新しいものも取り入れていかなければなりません。何よりチームがどこに向かっていこうとしているのかが重要です。僕がフロンターレにきたとき、クラブはすでに優勝を目標にしていました。実際にそれだけのクオリティを持った選手が揃っています。日々の積み重ねではありますが、その目標に到達するための効果的、効率的なトレーニングを模索する日々ですね」

 頂点を目指すにしても登り方はいろいろある。試合で表れる長所短所をトレーニングに落とし込み、フィジカル面からのアプローチでより高いレベルのチームを目指す。一方で、国内のみならず、世界のサッカーにも通用する選手を育てていく。そのためには、いまを大切にして与えられた役割に打ち込むことが次の一歩になると矢野コーチは話す。

「指導者の勉強で海外のクラブを回り、サッカーが社会的にもステータスとして認められていることを感じました。1試合の経済的な波及効果がすごかったり、選手の移籍金が莫大だったりと、選手やチームに対しての周囲の期待や責任がすごく大きい。子供たちが夢を持てるような環境づくりという面では、日本はまだまだかもしれません。ただ、サッカーがうまくなりたいという気持ちや、練習に没頭してレベルを上げようとする勤勉さは、日本が上回っている部分だと思います。その特徴を生かしてどう発展することができるかが、今後の鍵になってくるんじゃないでしょうか」

 パリの紋章に「Fluctuat nec mergitur」という言葉が書かれている。これは和訳すると「漂えど沈まず」という意味なのだそうだ。これは作家の開高健が好んで使っていた言葉であり、また氏は「悠々として急げ」という言葉が口癖だったという。矢野コーチが好きな言葉。それは自身のモットーであり、日本のサッカーが進んでいくべき道なのかもしれない。

「格好いい言葉ですよね。悠々という言葉が好きなんです。でもまあ、実際にはうまくいかないことが多いのが人生ですよね。悠々と構えていたいと思っていても、いざ何か起こると慌てふためいたりとか、そんなのしょっちゅうですから。ただ、人としてこうありたいと思います」

 漂えど沈まず、悠々として急げ。嵐にも沈むことなく、悠然と前へ前へ進んでいく。そんな航海はまだまだ続いていくのだろう。
(敬称略)

profile
[やの・よしはる]

関塚隆(前フロンターレ監督)の下、早稲田大学ア式蹴球部でフィジカルコーチの基礎を学ぶ。ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)、東京ガスサッカー部(現FC東京)を経て、2009年川崎フロンターレへ。2010年〜現職。1969年5月18日/長崎県長崎市生まれ。
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