2010/vol.10
ピックアッププレイヤー:DF2/伊藤宏樹選手
川崎フロンターレのユニフォームに袖を通し、10年目のシーズンを迎えた伊藤宏樹。ルーキーイヤーの2001年からコンスタントに試合に出続け、チームの屋台骨を支えてきた。普段はひょうひょうと振る舞い、真剣に問いかけてものらりくらりとはぐらかされる。
でも、みんなわかっている。彼がピッチ内外で中心となり、現在のチームを築き上げてきたことを。
10年目の変化と苦悩の間で得たもの
2010年、フロンターレは高畠監督が就任し、新しいコンセプトでのチーム作りをスタートさせた。それは世代交代が進むなかでの自然な流れであり、クラブが生き残っていくための術でもある。伊藤は長年務めていたチームキャプテンの肩書きが取れ、一選手として新シーズンを迎えることになった。それは「自分なりのキャプテンシーを貫いてきた」という彼にとって、大きな変化だった。
「いろんな意味で考えさせられたし、チーム内での自分の立ち位置をどう置けばいいんだろうっていう戸惑いもありました。ただ、ケンゴがチームキャプテンということだけじゃなくて、タニとユースケが副キャプテンっていうのもはじめてなわけだし、これまでとは違った色が出てくるんだろうと思っていましたけど」
キャプテンといえば厳格でストイック、いるだけでその場が引き締まるといったタイプを想像しがちだ。だが実際には、威圧的なだけでは反発する選手が出てくるし、周りを気遣うだけではチームを引っ張っていくことはできない。カリスマ性とひと言で片づけてしまえば簡単だが、個性の強いサッカー選手たちをひとつにまとめるためには大変な労力がいる。ときには監督やコーチングスタッフにかけ合い、選手側の意見を述べるパイプ役にならなければならい。チームリーダーとしてどうあるべきか。伊藤はずっと考えてきた。以前、「キャプテン」というお題で話を聞いたことがある。そのとき、彼はこのように話していた。
「選手をピリッとさせる空気を作る人がピッチにいるのが理想かもしれない。だけど、時代が移り変わるなかで若い選手がどんどん入ってきて、昔のキャプテン像のままで全員がついてくるかというと、そう簡単にはいかない。結果が出ていれば問題ないけど、悪い流れになったときに一気に不満が出てきたりしますからね。だからピッチ上だけじゃなくて、いろいろな面から柔軟に支えていくことも必要だと思います」
チームは生き物、毎年変化していく。それは頭では理解していた。キャプテンという立場から離れたからといって、チームにマイナスになるようなことはしたくない。そんな思いからあえて自分からは前に出ず、チームの中心から少し距離を置いた。それが伊藤なりのこだわりだった。だが、選手としてのモチベーションという部分では、多少の浮き沈みがあったそうだ。かつてキャプテンとしてチームをまとめ同じ立場だった鬼木達コーチは、シーズン当初、伊藤からたびたび相談を受けていた。
「自分もキャプテン交代を経験しましたけど、その頃はゲームに関わっていなかったのでちょっと立場は違います。だからヒロキからしたら、すごく難しかったと思うんです。キャプテンを下の世代に受け渡すことで、どうしても周りに遠慮してしまう。チームは世代交代していくものとわかっていても、気持ちの持ち方が難しい。それは自分も経験したことなので、よくわかります。だけど、一歩引くよりいままでどおりの形で新しいキャプテンを尊重すればいいんじゃないって話しました。
ヒロキはサッカーだけじゃなくてピッチ外でいい意味での馬鹿ができるし、バランスを持って人と接することができるから、下の世代からも慕われています。そこは本当に尊敬できるところ。プレーヤーとしてはいまさらいこうことはないでしょう。10年近く試合に出続けるというのはすごいことですよ。運だけじゃなくて、実力があるからこそ。それは間違いないです」
(鬼木コーチ)
また伊藤はプロ10年目にしてはじめて、怪我以外で試合に出られない時期を経験した。スタメンのピッチの立つことが当たり前だった9年間。そのリズムが変わり、ベンチからピッチを見る機会が多かったシーズン前半を苦笑いしながらふり返る。相当落ち込んだのは間違いない。
「いま思い返すと、最初の頃は自分のなかで消化できない部分があったかもしれない。ベンチにいるときの気持ちの持っていき方とかも難しかった。でも、よくとらえるならば、自分に変化や刺激を与えるきっかけになったかも。それがまた自分の経験になっていくわけだし」
32歳という年齢になり、ここで気持ちを落としてしまったら、サッカー選手としての質も落ちていく。伊藤は肌で感じていた。だからこそ、がむしゃらにトレーニングに打ち込んだ。試合に出られない時間を、自分の体をケアすることに当てた。プロとしての仕事をまっとうするために。伊藤のことをよく知る中村憲剛は、そのときの様子をこう語る。
「ヒロキさんはプロに入って1年目から出ずっぱりで、その流れでずっとチームを引っ張ってきたわけだから、疲れていたんじゃないですか。気持ちだけはずっと若手だけど、年齢を重ねていくにつれて疲労が蓄積されていきますからね。きっと勤続疲労みたいなもんですよ、ヒロキさんの場合は。でも、今年は大変なシーズンだと思います。プロに入ってはじめてした苦労だから。それまで競争をしたことなかったら、いざそうなってみるとベンチにいることの耐性がなかったっていう(笑)。鼻を折られたというか。まあ、本人はあんまり考えてなかったかもしれないけど。でも右サイドバックをやって、そこからまたセンターバックに戻ってきて、突き抜けた感じはありますよね」
(中村憲剛)
キャプテン交代、そしてスタメンを外れる経験は、自分自身を見つめ直す機会になった。本職のセンターバックだけではなく、去年の左サイドバックに続いて今シーズンは右サイドバックにも入った。本人はセンターバックにこだわりを持っているだろうが、スピードと強さを兼ね備えた伊藤の能力の高さがあるからこそ、サイドバックも務まるというものだ。
「いままでうちのサイドバックをやってきた選手のイメージが強いだろうけど、自分がやるんだったら自分なりのスタイルがある。ピッチを見る景色がまったく違うから最初は違和感がめっちゃありましたけど、もともと右利きだし、やっていくうちにつかんでいったという感じですね。この歳になって新しいポジションにチャレンジするとは思わなかったけど。ただ、自分のためにもチームのためにも、前向きにとらえてチャレンジすることで見えてくることもあるかなって。まあいろいろと考えることがあって、プレーの幅自体は広がったとは思います」
開幕戦をセンターバックで迎え、途中からベンチ。リーグ再開後は右サイドバック。でも、最終的には本来のポジションに戻ってプレーしている。やはり最後にものをいうのは経験と信頼度だ。「でも、わからないでしょ。また出られなくなるかもしれないし、サイドバックになってるかもしれないよ」と本人は煙に巻くが、やはり彼が一番輝くポジションはセンターバックだろう。
「個人的にはJ2から再出発するチームで最初からスタメンで試合に出ることができて、そこからJ1と段階を踏んでいけたのはいろんな意味で良かったけど、ひと通り経験して今年もう一回最初に戻ったという感じですね。偉そうなことをいえば、チームそのものが成長したんだと思います。選手の平均能力が上がってチームがレベルアップして、誰が出てもおかしくない状態になっているということじゃないですか」
クラブとして価値のある選手でありたい
今年は中断期間のキャンプでプロに入ってはじめての肉離れも経験した。これまで第一戦でずっとサッカーをやってきて、一度も肉離れをしたことがなかったというのも珍しい。「気持ちが切れていたんですかね。それで筋肉も切れちゃったとか」とおどけて見せるが、本人が一番心残りだったのは恒例のファン感謝デーで踊りを披露できなかったことだそうだ。冗談のように聞こえるが、本人はいたって真剣。彼なりのサービス精神は相変わらずブレがない。
「あれだけ練習してきたのに、当日できなかったのはサポーターに申し訳なかったし、けっこうショックでしたよ。そういったファンサービスをずっと大事にしてきたというのがあるので」
フロンターレの選手たちがピッチ外のイベントにも協力的なのは、クラブの方針でもあるが、観客が2、3千人しか集まらなかった時代を知る伊藤の影響は大きい。彼が選手の立場から率先してファンサービスに取り組むことで、下の世代もやらなければいけないと自覚する。そのサイクルがピッチ外でのフロンターレのチームカラーを作り上げていった。
「なんでこんな流れになったんだろう。『他のクラブがやってないことをやろう』ってスタッフが熱心で、それに押されている部分が大きいけど、ファン感は代表組がいなくてもあれだけの人がきてくれる。正直、最初はみんな嫌々だったけど、やっていくうちに『やるならよりいいものを見せよう』っていう流れになったから、それは良かったんじゃないですか。それはフロンターレの良さのひとつだと思うし」
選手はサッカーだけに集中すればいいという考え方は、高いプロ意識の表れでもある。だがフロンターレはJリーグでは後発組の中堅クラブであり、川崎というプロスポーツが根づかないといわれてきた地域からスタートした経緯がある。どうすればお客さんを増やすことができるかという意識は、クラブスタッフだけではなく選手たちにも植えつけられている。
「ここ数年で成績は上にきているけど、いわゆるビッグクラブと比べると、うちはまだ規模がそこまで大きくない。だからみんな初心を忘れないでほしいし、将来的に等々力が改築されて大きくなったとしても、この流れはつなげっていってほしいです。サッカー選手がサッカーでがんばるのは当たり前のことで、そこに付加価値をつけることで独自のカラーが出るし、より多くの地元のファンに愛されるクラブになるだろうから」
今年は自分のことを考えるので一杯一杯だったけど、とつけ加えるが、伊藤の言葉の端々にはチームへの熱い思いがちりばめられている。では自分のことはよくわからないと話す伊藤に、あえて自身の未来像について深く突っ込んで尋ねてみた。
「俺ですか? ナビスコカップで優勝してフェードアウトしようと思ってたんですけどね(笑)。まあそれは冗談として、『何か残すまではやめられない』っていったら格好いいし、美談だろうけど、せっかくだから何かしら足跡を残したい。フロンターレはいいチームになったといわれるけど、もっと長い歴史で考えたとき、タイトルを獲ってなかったらみんなの記憶に残らない。チームは変わっていくものだけど、いまのメンバーで優勝して喜びをわかちあいたいし、そのために貢献したい」
新陳代謝が進むなかで、チーム編成も毎年変わっていく。来シーズンも同じメンバーで戦える保証はない。フロンターレには毎年、活きのいい新人が入ってくる。年齢は違えども立場は同じ。ポジション争いという競争は続く。
「自分がどんな立場になるかまだわからないからですからね。ただ、年齢だけでベテランと決めつけられるのは嫌です。確かに走るのは好きじゃないけど、自分ではベテランとは思ってないから。理想をめちゃくちゃ高く置くとするならば、ACミランの象徴だったパオロ・マルディーニ。マルディーニは引退するまでずっとキャプテンだったけど、自分は違うアプローチで貢献したい。せっかく10年間やってきたから、クラブとして価値のある選手になりたいですよね」
Jリーグでは10年以上同じチームに在籍してプレーする選手が少なくなってきており、ベテランの価値が薄れてきている。世の中の不景気という事情もあり、高い年俸の選手よりも若手を使う傾向があるのも事実だ。だからこそ、何かしら価値のある選手でありたいと語る。
「ちょっと偉そうなことをいいましたけど、最低でもチームに迷惑かけないようにしたい。まあ、うちは周平さんや佐原もいるし、そこは大丈夫だと思うけど」
フロンターレからワールドカップのピッチに立った選手が輩出され、さらにチームから巣立ち、海外リーグで活躍する選手も出てきた。サッカーを知らなくてもフロンターレのことは知っているという人も増えてきている。クラブとしての価値も高まってきているということだ。だからこそ現在、そしてこれからが大事と続ける。
「そのへんで普通にレプリカユニフォームを着たサポーターが歩いている姿を見かけるなんて、自分が入団した2001年からすれば考えられないことですよ。だからこそ、もっと面白い試合をしていかないと。成績はまだ届いていないけど、どんなクラブにしていきたいかは体現してきたつもりです。サポーターとの関係性はすごく大事。試合に負けたときスタジアムはシーンとなるけど、『頑張れ!』って声が聞こえてくる。そういったことを含めて、サポーターも自分たちの立ち位置をわかってくれている。逆にそれで初心に戻れるという部分はありますよね」
ただフロンターレは、挑戦者からもう一段階上を目指す過程にある。対戦相手からすれば、代表選手を筆頭に強力な武器を持った戦力を揃えたチームという印象を持たれているからだ。ただがむしゃらに向かっていくだけではなく、相手の勢いを受け止めてはね返す力強さも求められている。移りゆく時代のなかで生き残っていくために、どうあるべきか。その答えが見つかる日はくるのだろうか。
「要するに自分たちはまだ何も成し遂げてないってことです。クラブとしても選手としても、まだまだこれから。個人的には10年ひと区切りですけど、俺は今年からまたはじまってます。ふらふらしてて、自分のことしか考えてないけど」
肝心なことはまるで他人事のように受け流す。「いつまでサッカーするんでしょうね、俺」と、つかみどころのない返答が返ってくる。ただ最後に、こうつぶやいた。
「でも、このチームが好きだから」
それは伊藤の紛れもない本心だった。
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[いとう・ひろき]
安定したパフォーマンスで毎年コンスタントに出場を続けるディフェンスの鉄人。ピッチ内外で選手たちをまとめあげるチームリーダーでもある。クラブ悲願のタイトル獲得にかける意気込みは人一倍強い。。1978年7月27日、愛媛県新居浜市生まれ。183cm/74kg。
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