2012/vol.05
ピックアッププレイヤー:MF16/楠神順平選手
今年のクラブアンケート。
「生まれ変われるとしたら?──天才」
「好きなマンガは?──スラムダンク」
「一緒にプレーしてみたい選手は?──マイケル・ジョーダン」
そして──
「永遠のライバルは?──平原研、乾貴士、青木孝太」
口ベタだけどふざけているわけじゃない。彼の本質はこの言葉に散りばめられている。
川崎フロンターレの代名詞は攻撃だ。ただし、攻撃だけでフットボールは成り立ちはしない。
フットボールはいつだって、いい攻撃からのいい守備、そして、いい守備からいい攻撃につながる。
アンケートの回答をヒントに紐解いてみる、楠神順平というフットボーラーの現在。
今年の彼、ちょっと目が違う。「ピッチのオレを見てほしい」という川崎愛も。
【はじめに】
最初に親指。
次に人差し指。
続いて中指、薬指、小指、と続く。
数え方は、いつの間にか自分で工夫していた。
小学5年生の地域選抜選考会のときに初めて目の当たりにした、平原研という選手(のちに楠神と平原は野洲高校で高校選手権優勝メンバーとなる)に出会ったのがきっかけだった。
生まれて初めて、「完全にサッカーで負けた」と思った。「サッカー以外では僕、ホントに負けず嫌いなトコはないんですよ。でもオレにはサッカーしかない。サッカーで負けたらどこで勝ちましょうね(笑)? オレからサッカー取ったらどうすんねん、という感じなんです。とにかく平原に追い付き、追い越したいと思った」。
とにかく驚いた。平原の相手の逆の取り方、ボールの持ち方、視野の広さ。全てが異次元だった。しかも同い年の少年が目の前で軽々とリフティングで1万回を達成してしまったのだ。同じチームに入って行った試合でも、平原のプレーレベルは順平の想像を大きく超えていた。(これらのエピソードは公式HP内でスポーツ報知の羽田智之記者が執筆されている2010年のピックアッププレーヤーvol.2『全力少年』に詳しい)
リフティングは、少々ボール扱いに慣れ始めた子どもならある程度できる。10回できたならば、100回に到達するのは容易だ。その先、桁外れの回数でボールを踊らせるために壁となってくるのは「アイディア」と「体力」だ。体のあらゆる部分でボールと戯れていないと、途中でまず飽きがくる。普段、体にてなづけていない箇所でボールを触るのは、勇気もいる。やがて動かし続ける足にも疲労がくる。
順平は、平原にまず追い付くためのリフティングを、両手の指を開いた状態で始めた。順平は1000回ボールを跳ね上げるたびに、親指、人差し指の順番で握りしめていった。平原と同じ小学5年生。生まれて初めて、リフティングで1万回を達成した時のことを順平はよく覚えていないそうだ。平原に追い付き、追い越すために、まだまだ順平にはやらなければならないことがたくさんあったからだ。
【負けずなルーツ】
野洲高校時代のプレーを鮮明に覚えているファンからはもちろん、そのトリッキーなドリブル、思いもつかない身のこなしからのパスで、順平は「天才肌」と評されることがある。それを順平は即座に否定する。「僕は天才なんかじゃないっすよ。うまい人が近くにおって、壁になって、この人よりもうまくならないと、と這い上がってきたタイプです」
インタビューの最初に『スラムダンク』で一番好きな登場人物を教えてくれていた。順平が名前を挙げたのは、主人公がプレーする『湘北高校』の選手ではない。ライバルチームのエース、『陵南高校』の天才と称されたプレーヤー、仙道彰だった。
「僕は、自分がそうなれないから天才が好きなんじゃないですかね? バスケのマイケル・ジョーダンにせよ、『スラムダンク』の仙道にせよ」
順平の過去を、こんなふうに語る人がいる。
1976年55回大会の全国高校選手権首都圏開催以来ファンとして会場に足を運び、そして就業後は、現在まで全大会を取材している『週刊サッカーマガジン』誌のスーパーバイザー、国吉好弘氏だ。
「2004年、84回大会で優勝した野洲高校は、首都圏開催となった55回大会の静岡学園高校(決勝4−5で浦和南に敗れ準優勝)以来の衝撃だった。多くのチームが取り入れていた勝つためのサッカーや、能力の高い中心選手を生かすスタイルではなく、チーム全員の個人技が高かった。静学(静岡学園高)も野洲も、みんながうまいんだけれど、それぞれに特徴がある。楠神は初めて平原を見たとき、カルチャーショックを受けたらしいけど、楠神はスピードのあるドリブル、テクニックが持ち味で、乾もそうだけどもっと柔軟かな。平原はスピードはないけど、ボールを扱う技術とアイディアがある。『自分にできないことをできる選手がいる』ことが驚きだったんだろう。そんな選手たちが互いに刺激し合って、サブも含め切磋琢磨して、全員で作り上げたチームがあの大会の野洲だったと思う」
順平のアンケートの回答。「永遠のライバルは?−−平原研、乾貴士、青木孝太」
いずれもあの大会の野洲高の選手だ。
順平は、やはりサッカーに関しては心底負けず嫌いなのだ。必死で追い付こう、追い越そうと思って平原を追いかけ続けた小学生時代から。高校時代とんでもないペースでゴールを量算していた青木孝太(現・甲府)も、いまや活躍の場をドイツに移した乾貴士(現・ボーフム=ドイツ)も、「自分に持っていないところがある。追い付き、追い越さなきゃいけない」と当時から順平はずっと考えていた。
野洲高での1学年下である乾は、ことあるごとに「目標としている選手」を問われると順平の名前を真っ先に挙げる。今でもだ。
この話をすると順平は「とんでもない。冷静に見て、負けています。乾は今、頑張って僕が追い付き、追い越さなきゃいけない選手です」と言う。
でも乾の言葉は本心だ。乾もまたかつて、「クスカミ先輩に、完全に負けた」と思っている。あのときの“クスカミ先輩”に勝てなかったのだ。いま目の前にそこにいる、からそう思うのではない。現在も「あのときの、あの人に勝たなければならない」と思い続けているから今がある。
乾にも、順平にもいつも、目標とする人が近くにいた。こうした「負けず」だらけの仲間が、今の楠神順平という選手をつくりあげた。
「負けず嫌い」。彼を象徴するVTRを順平に一緒に見てもらった。2010年Jリーグ第10節、アウェイのG大阪戦。プロデビューとなったこの一戦(楠神はこの1年前の大学時代、すでに川崎の特別指定選手として公式戦に出場している)で、1−3とリードされた状況で、順平は後半26分に投入された。
後半29分に1点、35分に2点目。順平は立て続けにゴールを決め、フロンターレは3−3の同点に追いついた。
しかし、G大阪も意地を見せる。後半37分、明神のミドルシュートで4−3と突き放す。それでも順平はあきらめていなかった。
後半ロスタイム、中村憲剛からふわりと入ったスルーパスに抜け出し、まずは胸でコントロール。DFに引っ掛かりながらも、今度は胸、いや、のど元で叩き付けるように強引に足元にコントロールしてボールを置いた。そしてそのまま流し込んでゴール。プロデビュー戦の順平はハットトリックの活躍を見せた。後半35分の2点目、DFの股を抜きコースを突いたドリブルシュートは順平の持ち味が、そのまま出た。
でも、1点目、3点目のゴールは違う。かつて「セクシーフットボール」と謳われた野洲高のクスカミのゴールでも、麻生グラウンドでサポーターをいつも魅了する、休憩途中に曲芸のようにボールと戯れるジュンペイでもない。
あの試合、順平は完全に鬼の形相だった。
「2点負けてたし、点を取るしかない状況やったから。とにかく点取ることだけに必死やった」
フロンターレが何より点が欲しかった時間に、結果を出した。しかも、3得点。
「必死ですよね」。VTRを見終えた順平は、そうつぶやいた。
こうしたプレー、例えば順平が好きなバスケに例えると、「クラッチ・プレー(掴み取るプレー)」と言うらしい。
ここ一番でシュートを決め、土壇場でチームを救う、というところから由来しているそうだ。ちなみに順平が一緒にプレーしてみたい、というジョーダンは不世出の「クラッチ・プレーヤー」と評されていた。ジョーダンに憧れる順平の一面が、ほんの少し顔を見せた。
【負けずな現在】
「去年は、全然ダメでしたね。開幕スタメンには入れたんですけど、その後、ふくらはぎを打撲してしまって1カ月くらいサッカーから離れた。僕のサッカー人生でも初めてやったんですよ。そんなにサッカーから離れるの。復帰した後も、自分のやりたいイメージとできる体の感覚がなかなか合わなくて、しばらく苦労しました。それで自分のパフォーマンスも良くないし、『ここに敵や味方がおる』っていう感覚が全然戻らなかった。メンバーからも外れたりしましたし、しかもリーグ戦1得点やし」。
今年の順平は、少し違う。
「勝ちたい。これまで『チームのことを考えてこなかった』わけじゃない。サッカーを始めてから今までフォアザチームの気持ちは変わっていない。でも今年はこれまで以上に、チームのことを考えなきゃいけない。勝ちたいから。『勝つために、チームのために何ができるか』という考え方が変わったんですかね。小、中、高、大学は、『多少守備をサボってでも点に絡むことがチームのためになると思っていた』。
でも、フットボールはそうじゃない。攻守両面、もっというとピッチの中でも外でも貢献しないと、本当のフォアザチームにはならないことが分かってきた。きっかけは、昨季加入した同じポジションの山瀬功治を目の当たりにしてからだった。
「あれだけ実績があって、うまい功治さんが、チームのために献身的に走る。『この人があんなにやってるんやから、自分がサボれるわけがないぞ』と思いました。そして、功治さんに勝たないと、僕は試合に出られないんです」
昨季、山瀬の背中から「チームプレー」の一端を順平は学んだ。そして野洲高時代のことを引きながらこう続けるのだ。
「高校時代はみんなが同じ絵を描けていた。誰かが、こうしたらこう。誰かがミスしてもこう。話し合ったわけじゃないんすよ。見なくても分かるんです。勝つために誰がどういうふうに動いたらいいか、というのがチーム全員が分かっていた。楽しかった」。
サッカーが楽しい。次のプレーが分かる。そこまでいくために、当時の野洲イレブンはどこまで、走り尽くしたのだろう。「セクシーフットボール」と評されたあのチームは、そういえばボール奪取するためのチームプレーにおいて、チーム全員がどこまでも泥臭かった。
このインタビュー後の話だ。
順平は、3月20日、ヤマザキナビスコカップで、今季初めて公式戦スタメン出場を果たした。この試合、順平は「らしさ」を随所に見せている。
10分、ジェシからのロングフィードをうまく収めたレナトから、全力で走ってボールを引き出し、シュートを放ったシーン。
14分、森下の攻め上がりを促した、反転しながらの2タッチ。
30分、小林のシュートを導いた右足アウトサイドでのスルーパス。
59分、オーバーラップした田中裕介からのクロスに反応しオーバーヘッドのシュート。
そして、それよりも印象に残るシーンがあるのだ。
今季リーグ開幕、3月10日の新潟戦。ハーフタイムとなった瞬間に、ビブス姿の順平は、誰よりも早くベンチを飛び出した。前半、ピッチを駆け回った選手を誰よりも早く迎え入れ、ハイタッチで仲間を迎えた。このゲームで試合出場はなかったが、試合終了の瞬間、全身で喜びを表した。
記者席から「ああ今年、順平は勝ちたいんだ」と思った。
そのときのことを順平はこう語る。
「一回ゲームに入ったら、勝つためのことを全部考えます。このサポーターに支えていただいていたらね。たとえ試合に出られなくても、それを悔しがるのは家に帰ってからでいい」
野洲高時代から一番、順平のことを側で見ている田中雄大はこう語る。
「励まされたり、助けられたりした記憶は、たくさんあります。怒られたことはないんです。ただ『こういうボールを蹴ってこい』っていう要求だけは、常に高かった。高校のときからずっと一緒やし、僕のことを一番分かってくれている。プロに入って一緒になってからは『サッカーに対する考え方』が変わっていたのにびっくりしたんです。高校のときはドリブルでゴリゴリやったのに、今、全然違うでしょう? プレーの引き出しが増えてる。走りまくっとる。いつまでも見習っていかないかん先輩です」
【おわりに】
そうそう、去年、ダノンネーションズカップで全国4連覇し、得点王に輝いたフロンターレU-12の髙橋真君がこう言っていた。
──「フロンターレで一番憧れている選手は誰ですか?」
「楠神選手です」
──「それは、なぜですか?」
「すごいドリブルからゴールを決めるからです」
このやりとりを順平に伝えてみた。この日一番の笑顔を順平が見せた。
「そういうことがホントに、サッカー選手として一番うれしいです。プロ選手としてお金をいただいて、どこかでちやほやされることがあったとしても、そういうのが一番うれしい。子どもでも、大人でも見にきてくださる皆さんが『あんなプレーをしたい』とあこがれてくれる、そういうプレーをしていきたいし、『この人に会いたい』と思うプレーをしていきたい。自分が子供の頃そう感じていたから。だから、勝たないと、なんです。」
率直に尋ねてみた。アンケート内のこと。なぜ、『スラムダンク』、『マイケル・ジョーダン』なのか。サッカーじゃなく『バスケットボール』なのか、というのが引っ掛かっていたからだ。
「もちろんサッカーが一番好きです。でもその次はバスケ。バスケは一番サッカーに似ているからです。バスケは手でプレーする分、プレーは正確にできる。逆に手でやる分、逆を取るには工夫が必要ですよね。そこを見ちゃう。ヒザの曲げ伸ばしや目線を使ってバスケは相手の逆を取るけど、足でやるサッカーはそこまではできない。でもチーム一体となったら、全体での崩し方はサッカーと一緒。サッカーと違うのは最後の点の取り方だけなんですよね」。
びっくりした。過去に全く同じことを言った人がいる。元日本代表監督のジーコだ。そう告げると順平は、そのことを知らなかった。
「じゃあ、なぜスラムダンクの仙道なり、マイケル・ジョーダンに引かれるのでしょうね?」
順平はうーん、としばらく考え込んだ。
「仙道もジョーダンも『彼ならなんとかしてくれる』」とチームメイトに思われているところです。自分もそういう選手になりたいんです。だから今年は守備をしながら得点の『数』にこだわりたいんです。どん欲に。これまでは、得点数にどん欲ではなかった。ゴールに絡むことにはこだわっていましたけどね。」
そして大真面目な顔でこう続けたのだ。
「ここぞでゴール決める仙道って、普段、頑張っているイメージはないじゃないですか? 仙道、平気で寝坊したりするのに、それなのにチームのピンチを救っちゃうじゃないですか? でもねオレ、仙道、影でめちゃめちゃ頑張ってると思うんですよね」
これには吹き出した。確かに。『スラムダンク』作中の仙道は、練習、つまりバスケじゃなくて釣りをしているイメージしかない。
そうそう、仙道だけじゃなくマイケル・ジョーダンの名言にこんな言葉がある。
「高校時代は代表チームの選考から漏れた。9000回以上シュートを外し、300試合に敗れ、決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も失敗してきた。だから僕は成功した」
決して努力を怠らない人、自分の才能をあくまでチームの中で輝かせる人。こういう選手がやがてスーパースターと呼ばれるようになることを、順平はもう知っている。そして「自分はそこに至るまではまだまだ」、とずっと必死にボールを追いかけている。
誰かにあこがれられるスーパースター、そして華麗に見える花は、いつだって意地で咲いている。
profile
[くすかみ・じゅんぺい]
変幻自在のフェイントと重心の低いスピーディーなドリブル突破が武器のアタッカー。昨シーズンは開幕戦でスタメンに入り、レギュラー争いに食い込んだ。先発でも途中出場でも自分の色を出せるようになり、チームの主軸としての意識も高まってきている。1987年8月27日/滋賀県愛知郡生まれ。171cm/63kg。>詳細プロフィール