GK24/安藤駿介
テキスト/小林 剛(神奈川新聞) 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Kobayashi,Go(Kanagawa Shimbun) photo by Ohori,Suguru (Official)
プロ6年目を迎えた23歳は、湘南ベルマーレでの1年間の期限付き移籍を終えて、川崎フロンターレに再び戻ってきた。
12歳からサックスブルーのユニホームをまとってきた男が、初めて異なるエンブレムを胸に付けて戦った一年は、仲間と胸を熱くし、
特別な感情を抱くほどの大切な時間となった。背番号24はすべてを糧に、新たな道を走り出した。
昨年末、湘南ベルマーレから届いた一枚のFAXに安藤の純粋な思いが込められていた。
「一年間という短い間でしたが、本当にありがとうございました。あっという間に過ぎてしまったという印象と共に、一年間以上の経験ができたと感じています。プロに入って5年目ですが一番内容の濃い、充実した年になりました。ベルマーレに関わるすべての皆さんに感謝しています。期限付き移籍という形で入った僕を、受け入れて下さった監督をはじめ、コーチングスタッフ、フロントスタッフ、選手、サポーターの皆さん全員に感謝しています。一年を通してみたら、苦しい時のほうが多かったと思いますが、チームにとっても個人個人にとっても貴重な時間を過ごすことができ、充実した年になったと思います。一年で川崎に戻ることになりますが、今年以上に充実した年にできるよう、また努力していきたいと思います。支えて下さった皆さんには感謝の気持ちしかありません。一年間、ありがとうございました」。
ずっと正守護神の座を目指していた。2012年夏にはロンドン五輪代表メンバーにも選出された。若手のなかではポテンシャルの高さを証明した。それでも、風間八宏監督が就任してからは一度も出場機会を与えられず、ベンチにも1度しか入れなかった。
何かを変えたかった。日々の練習で抜くようなことは一度もない。自他共に認める一本気でまじめな性格。ただ、どこか悶々とした日常が過ぎてゆく。「良い意味でも悪い意味でも慣れてしまって、自分がメンバーに入れないのが当たり前。練習していても楽しさよりも悔しさしかなくて。環境を変えて、気を引き締めて、一年間やるのも必要かなっていう思いがシーズン終わりに向かって強まった」。
ほんの少しの運命を変える日は、突然訪れた。
2012年10月6日、日立柏サッカー場での柏戦。当時、左中指を骨折していた安藤はDF伊藤宏樹らとともに車で応援に駆け付け、スタンドから試合を観戦していた。ちょうど斜め後ろに座っていたのが、湘南の曺貴裁監督その人だった。川崎のジュニアユースを指導していた経験を持つ指揮官との偶然の再会。自分のことを小さい頃から知っていて、中学1年生のときにシュートを受けたことも頭の片隅に残っていた。
あいさつに向かうと、「元気にしているか?来年どうするのか?」。そんな何気ない会話になった。安藤は「いやーまだ、あんまり考えていないですけど、出場機会を求めたいというか、環境を変えてみたい気持ちがすごいあります」と告げた。曺貴裁監督の「そうか〜」という一言が、正式なオファーにつながったのかは正直分からない。だが、何か特別な縁を感じていた。とんとん拍子に話が進み、11月末には1年間での期限付き移籍が決まった。
そして、2010年以来、3年ぶりにJ1の舞台に挑む湘南の一員となった。そこは平均年齢23歳の若さを前面に押し出し、「全員攻撃、全員守備」を掲げていた。最前線から最終ラインまでをコンパクトに保ち、裏へのボールにはキーパーも前に出て対応しなければならない。「実際自分に足りないのはそこだったから、成長するにはベストの環境だと思っていた。J2から上がってきたチームだし、それなりに仕事をする回数も増える。レベルの高い選手と常に戦えるから、自分を伸ばすためにはもってこいの環境」。そう意気込んではいたものの、新天地に慣れるのには予想以上に時間を費やした。
大きな違いはシステムだった。湘南は一貫して3バックを採用した。川崎ユース時代から4バックに慣れ親しむ安藤にとって、「感覚というよりも目が全然慣れなくて」。逆サイドにいるはずの選手がいなかったり、いつの間にか最終ラインに両サイドハーフが吸収されて、5バック気味になっていたり。「いる場所にいないというのは気持ち的に落ち着かなかった」。持ち味のコーチングにも微妙に影響したからこそ、練習試合の映像などを必ず見て、最終ラインの選手たちと話し込んだという。
しかし、すぐに結果には結び付かなかった。2月16日の開幕戦へ向けたプレシーズンマッチでの大宮アルディージャ戦。前半だけでまさかの4失点を喫した。先発起用に応えられず、GKの定位置争いから抜け出すことができなかった。「最初のチャンスを逃したと思う。その後、ナビスコカップとかは3試合に1試合ずつとか試合に出させてもらっていたけど、チャンスをものにするまでにはいたらなかった。チャレンジも含めてパッとしたプレーがなかったから、曺さんの気持ちも最初の方は動かなかったのかな」。
開幕から4試合連続でベンチを温めたが、そこに暗さはなかった。コンディションの良しあしで先発がめまぐるしく代わるチーム事情にあって、チーム全員が練習から100%の力を注いでいた。「チャンスが回ってくるからモチベーションも高い。試合のときのコンビネーションに問題があるかもしれないけど、若いチームには合っていた」。周囲からの刺激を受けながら、安藤もまたピッチで躍動する準備を常に心掛けていた。
迎えた4月6日、ついに待ち焦がれた瞬間が訪れた。リーグ第5節川崎フロンターレ戦。直前のヤマザキ・ナビスコカップのヴァンフォーレ甲府戦で、1-0の完封勝利に貢献したことに加え、古巣との一戦に懸ける思いをくんでくれたという。「曺さんは、そういう部分も見てくれる方だから」。
胸はやはり高鳴った。ここまでリーグ戦未勝利だったとはいえ、MF中村憲剛を擁する屈指の攻撃力は言うまでもない。かつて練習中に何度もゴールネットを揺らされた仲間との真剣勝負は不思議な感覚でもあった。緊張感から試合前のアップで体は思うように動かない。さらに暴風雨にも見舞われた。ピッチには水がたまり、キャッチングは難しい。状況判断が勝敗を分けるかもしれない。0-0のまま、じりじりと時間は進んだ。試合の流れをつかんできた矢先、好セーブを見せた。
後半12分、ゴール正面でFW大久保嘉人が落としたボールに、同期であるDF登里亨平が右足でシュートを放った。その刹那、倒れ込みながらシュートをはじき返した。「ノボリ(登里)の利き足は左。右で打ったからコースを読めた」。ハートは熱く、頭は冷静に。気迫の込もった表情が頼もしかった。ただ、勝ち越した直後に一瞬の隙を突かれて同点に。悔しさしか残らないドローとなり、「もし1-0で勝っていたら… もっと自分の立場が上がったかもしれない。結果的には自分の力が足りなかった」。ピッチに立てたからこそ、味わえた感情がいつまでも残っていた。
7月6日までベンチ暮らしが続いた。
7月31日の2度目となるリーグ第18節川崎戦に安藤の名前はなかった。記念すべきはずの「等々力凱旋」のゴールマウスの前に立ったのは、新たに加入したばかりのGKアレックス・サンターナ。日本での初陣となったゲームで大久保のPKが外れるなど、残留争いに向けて大きな一勝をもたらした。「真逆に飛んでもシュートが入らないときは入んないですからね。けれどあの試合でアレックスの力が証明された。川崎戦だったし、自分も出たかったというのが正直あるけど、あれはチームとして正解だった」と安藤。やるせない気持ちも抱えたが、この世界は結果がすべて。再び自分の実力の足りなさを心底痛感する勝利でもあった。
試合経験を重ねるのと同時に、グラウンドでは熱血漢の指揮官から胸に突き刺さる言葉も掛けられた。「キーパーだからとか気負う必要はない。そんな特別なことをするというイメージじゃなくてもいい。おまえ一人だけ浮いているぞ。駄目なら謝ればいいし、自分だけでプレーしようとするな」。
安藤は常に堂々としていて、仲間に不安を与えないキーパー像を理想としていた。それを見透かされているような一言だった。成長を促すためにと頭では理解できたけど、「自分の考えを簡単に曲げるのはどうなのかなということもある。そういう意味でプレー面以外の葛藤もあった」。シーズン終盤、そんなやりとりから涙をこぼしたこともあったという。曺貴裁監督は「追い込まれるとすぐに泣くからな」と冗談交じりで笑いつつ「うちみたいなチームで試合に出たことによって、できること、できないことを確認できたと思う。彼にとって大事な期間になったんじゃないかな。常に一生懸命だったし、ここでの経験を生かしてくれるといいね」と願う。
10試合、842分。先発9試合で3勝3分け3敗。湘南の1年間で挙げた白星が6つと考えると、立派な数字とも読み取れる。本人は「自分が思っていた以上に試合には出られなかった。実際シーズンが終わってみたら妥当だったのかな。自分がこの試合数だったのは、やっぱり自分の力に比例している。勝っているゴールキーパーはやっぱり変えないし」。
一番の目標としていた「J1残留にも届かなかった」。責任の一端を受け止めながら、走り抜いた戦いが終わった。シーズン終了後、チームメートが全員集まった解散式の場で曺貴裁監督は涙ながらに、退団選手たちへの労いの言葉を掛けた。いつの間にか、安藤の頬にも光るモノが伝った。「ベルマーレには若い選手が多くて、ずっと一緒にいて、良い意味で部活動のような感じだった。自分はそういう経験がなかったし、お父さんのような監督がいて、アットホームだった。川崎とはまた違うのりも楽しかったし、心地よかった」。酸いも甘いも味わった。切磋琢磨する仲間との競争を繰り返し、ピッチに立つ喜び、信頼を勝ち取る過程もまた大きな財産となった。
「育ててもらったクラブに、戻ってこいと言われたら勝負するしかない」。川崎への復帰に迷いはなかった。あれから、3カ月。グラウンド脇の桜の木々も、そろそろ開花の気配が漂い始めている。
2年前と同じように、西部洋平、杉山力裕の双璧を崩すには至らず、出場機会はいまだにない(3月21日現在)。
「歯がゆいですね。でも、しっかり練習はしている。二人に近付いた気持ちもあるけど、やっぱり壁は高いなとも感じる。今は力をどんどん付けていくしかない。自分が33、34になった時に、どの立場にいるかを考えたりして。結果よりも今を大事にしたい。毎年、同じことを言っている気がしますけどね。引退するまで、同じなのかな」。
菊池新吉コーチは「違う環境で、自分の立ち位置、レベルを客観的に違う目線で比べることができるようになった。今は足元の技術がぶち当たっている壁なんじゃないかな。うちの監督だけではなく、サッカープレーヤーとして、いかにロスなく、早くプレーできるか。ちょっと判断が入ってくると、ミスがでやすい。ミスの原因は『止める、蹴る』。短時間では技術は上がらないし、コツコツとやっていくだけ。あんちゃんはその壁を自分で乗り越えようとしている」と見守る。
新しいマンションの玄関先には「配達業者にベルマーレサポーターかと思われるほど」(安藤)の湘南カラーのタオルマフラーやボールが飾ってあるという。湘南での一年間を経験し、これまで当たり前だと思っていた環境が実に整っていたことにも気付くことができた。クラブハウスに大きな浴槽が完備されていること。スタッフがゴールを運んでくれることなど。
「みんな自覚はないですけど、川崎はビッグクラブですから。だからこそ、ここで結果をしっかり出したい」。
古巣への感謝、帰ってきた大きな喜びをかみしめながら、全体練習後のグラウンドには居残りでボールを蹴っている安藤の背中がある。フロンターレの1つしかない最後の砦となるために、湘南で取り戻した熱き闘志と情熱を胸に秘め──。
湘南では多くの試合でベンチ入りし、リーグ戦9試合で先発出場と経験を積んだ。冷静沈着なプレースタイルが通用した反面、プレーエリアを広げる取り組みを試合で表現しきれなかった昨シーズン。高いレベルでの競争が予想されるGK陣の中で、安藤らしさを発揮しチャンスをつかみ取りたい。
1990年8月10日
東京都世田谷区生まれ
ニックネーム:アンドゥ、アンチャン