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vol.16

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DF2/實藤友紀選手

楽観を使いこなす

DF2/實藤友紀選手

テキスト/江藤高志 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by Eto,Takashi photo by Ohori,Suguru (Official)

人の行動原理は不安にあるという。飢えへの不安が農業を発展させ、寒さへの不安が衣服の発達につながった。
人の生き死にのあらゆるものに不安がつきまとい、それが人類に文明をもたらし、生活水準を飛躍させた。
緩やかな不安を必要と言い換えることができるのだとすれば、必要を満たすために人々は工夫する。工夫があるからこそ、
人類は進化が追いつかない能力を、発明で補った。不安という危機感が人類にモチベーションを与えるのだとすれば、
楽観は停滞につながりかねない危険な姿勢である

現状と冷静に向き合う

 引退した伊藤宏樹から2番を継承した實藤友紀は、もっと憤っているのかと思っていた。ほぼ手中にしていたレギュラーの座を、思わぬケガで失い、ベンチ外での雌伏を余儀なくされる。全国に数多いるサッカー選手の中にあって一握りのプレーヤーのみが名乗ることができるプロサッカー選手にまで登りつめたのである。

実力とは無関係の要素でポジションを失ったのであれば、そこに何らかの心理的な葛藤のような反応があってしかるべきではないかと、そう考えていたのである。しかし本人は、今現在置かれている状況に対して冷静に向き合っていた。そしてその冷静さは、彼のことを案じる先輩を心配させてもいた。

 本題に入る前に今一度、實藤友紀の経歴を振り返っておこう。

高知大学4年次の2010年にフロンターレの特別指定選手となった實藤は、21歳以下で編成された日本代表に招集。中国の広州にて開催されたアジア大会に出場し、決勝戦において優勝を決める決勝ゴールを奪う活躍を見せた。その後、2011年にフロンターレに加入してチームの一員となる。

 その2011年は途中交代出場からプロでのキャリアをスタートさせると、2012年には開幕スタメンを飾り決勝ゴール。シーズン中に指揮官が風間八宏監督へと代わった後、ポジションをサイドバックから本職のセンターバックへと変えてレギュラーに定着した。

 プロ2年目以降、コンスタントに試合に絡み続けた實藤は、2013年シーズンも2節の大分戦を皮切りに順調に試合出場を続けていく。そんな實藤の立場が暗転したのが、20節のFC東京戦でのことだった。試合中に脳震盪を起こし、途中交代を余儀なくされたのである。実はこの2013年シーズンから、脳震盪と診断された選手について、復帰までの手順が定められたルールが新設されていた。

 当の實藤は「脳震盪を起こしたら1週間は休まなければならないみたいです。1日目は自転車だけ。2日目は様子を見て、ジョギングだけ。そういう感じです」と述べていたが、それは全体練習への合流に遅れることを示しており、1週間後の21節の甲府戦ではベンチからは外れることが確定したことになる。頭部への衝撃を受けた選手を一律に守るこのルールに異存はないが、結果的に實藤はこのルールによってポジションを失う事となる。それまでは19試合に連続先発出場を果たしていた實藤は、このFC東京戦後、リーグ戦での先発はゼロ。3試合の途中交代出場にとどまった。

「そういうこともあるかなという感じでした」と当時を振り返る實藤は言葉を続ける。「確かにレギュラーでしたが、ライバルはいますし、いつも境目のキワのところでやっていたので、こうなることもある程度予想はしていましたし、こういうのは仕方ないことだと思っていました。ですからポジションを奪い返す事を目標にして、次に出られる時にしっかり準備しておこうと思っていました」

 誰かに怒りをぶつけるたぐいのことではないにせよ、「もう一度ポジションを奪い返してやる」という激しい闘志を見せるのかと思ったら、意外にも感情の波は穏やかだった。試合はもちろん、練習時から感情をむき出しにすることのない實藤のそんなスタンスについて、去年まで3年間チームメイトとして實藤を見てきた伊藤宏樹は物足りなさを感じていた。

MF19/森谷賢太郎選手

「2番」を継承

 考え方は人それぞれにあり、それが個性だということを口にしながらも伊藤は「もっと欲を出していいと思うんですけどね、あっさりしてますよね」と實藤について話す。

 プロ選手としての様々なプレッシャーを理解しているからこそ、意見を押し付けることはないが、それにしても時折口をついて出る言葉は、伊藤なりの激励の意味も込められていた。

「今年、26歳になるんですかね(2015年1月19日で26歳に)。そろそろ自分でチームをコントロールできるくらいになってほしい。もう一皮剥けないとダメだと思います」と少々手厳しい。

「CBとして入ってきて、ぼくと同じでサイドをやってたということもある。CBしかできない選手もいる中で、器用だからサイドバックとかもやっていた」。そうした使われ方にはいい面も悪い面もあると断りつつも「このチームにはスピードやアジリティを持つサネのようなタイプの選手が居ませんから」と實藤の潜在能力を評価。生え抜き選手だということも合わせて、2番への思いを實藤に重ねていた。

「オレはずっと思ってましたよ。『2番付けるならサネだ』と。オレの中では決めてましたから。2番を背負ってほしいと。サネに付けてほしいなと思ってました」

 そんな伊藤からの思いに対し、實藤も2番を欲していたという。

「自分でも2番が欲しかったです。それまでの人生でも2番は付けたことが無かったですし個人的な思い入れはなかったのですが、宏樹さんへの憧れからでした。一つのクラブでずっとやってきた選手ですし、サポーターからも愛されていた。それはすごいと思います」と話す實藤は、だから伊藤の引退には驚いたという「引退する時には2番がほしいなと思っていたんですが、いきなり引退すると聞いてびっくりしました。それで、リーグが終わったあとの納会の時に『2番はお前に付けてほしい』という事を直接言われて、それで付けさせてもらうことになりました」

 相思相愛で實藤に2番を継承した伊藤だが、そこにはすこしばかりの思いも込められていたという。

「2番については、チームを背負ってくれというか、そんな押し付けがましい事を言うつもりはないですが、ここ最近のサネを見てたら、本当はタイプ的に似てるサネが頭角を現してきたから引退するという形になればいいかなと思ってました。(成長を促すためにも)少しだけ、責任を負わせてもいいかと思っていました」

 だからこそ、實藤の執着心のないスタンスに少しばかりの苛立ちを感じているように見えた。そんな伊藤さんの気持ちを象徴するのが取材中に何度も出てきた「一皮むける」という言葉である。身体能力は抜群。経験も積んできた。あとはそれをプレーで表現するだけ。そのためにも「一皮むける」ことができれば、飛躍につながる。そんな確信があるからこそ、實藤への言葉もきつくなる。

「年齢的にも生え抜きでここまでやってきて、能力もありますからね。チームの事を見るくらいになったらもう一皮むけるんじゃないかと思います」と伊藤。ただ、周りから見ると、現状を無条件で受け入れているように見える實藤のスタンスは「逃げているように思われてしまうかもしれない」と後輩を気遣う。伊藤をやきもきさせる實藤のそんな性格を實藤自身「楽観的」と表現するが、そんな人格が形成されてきたのにはもちろんわけがあった。

熟慮の末に辿り着いた楽観

「苦しい局面になればなるほど冷静になるというか、あまり熱く考えすぎるといい方向に行かないことが多かったので。あまり考え過ぎないようになりました」と實藤。そうなったのは大学時代からだという。

「ずっと小さい頃からレギュラーで出ていたんですが、大学の時に挫折したんです。大学1年生の時に1年間全く試合に絡めずにA3(いわゆる3軍に相当)に居ました。その時、最初の方はいろいろと考えていて『もう、なんだろう。どうすればいいんだろう』って思ってました」

 高校時代にしても、中学時代にしても1年の時からレギュラーに抜擢されてきたという實藤はサッカーでは挫折したことがなかった。その境遇が大学で覆されたのだから悩みもする。

「あのプレーが無かったら、とかそういう部分について考えていました。もちろん、自分の悪いところというか、試合とかでミスしたら、改善しようと思うのは大事だと思ってるんですが、たとえば練習でミスして、そこの場で『なんでミスしたんだろう?こんなプレーもできないのか?もともと出来てたのに』とかって1年の時はよく考えてたんですね。それで、考えて考えて、結局考えても『意味がないぞ』と思うようになったわけです。そこで難しく考えたとしても、結局は選手を起用するのもしないのも、指導者の決めることなんですよね。だからそれについて考えても仕方ないと思ったんです」。諦めとも思える境地に至ったわけだが、そこで終わらないことで實藤の今につながっている。

「ミスを振り返るよりも、何を求められているのかをしっかり把握するということと、その課題をクリアするということ。そうでなければ出られないわけで、だから結局、自分の個人の能力の足りていないところを伸ばす必要が絶対にあると思ったんです」

 つまり考えすぎたとしてもいい方向に行くわけではない事を自ら悟り、その上で「考えることは大事なんですが、ネガティブな考えは要らないなと思うようになりました」という考えに至りる。そして「いいものを持っているのに、それを発揮できないのは気持ちの部分というか、自分をコントロールできてないから」という結論を導き出したのだという。意識や認識をプレーの重要なポイントとして位置づけている風間監督の教えにも通じる話だが、實藤はその境地に、誰かから教わることなく自らたどり着いたと話すからすごいものである。

「苦しかった」と振り返る大学1年での経験を糧に、今の實藤の楽観主義的な性格は形作られてきた。そしてその時に完成した人格が、プロになった今にもつながっている。

「あまりその、レギュラーを取られたからどうしようという感じではなくて、まずは取られないのが一番ですが、取られてしまったあとのこと。つまり結果的にはポジションを明け渡してしまっているので、それについて後ろ向きに考えないようにしています。その中で自分の考えの持って行き方としては、やっぱり毎回のトレーニングで自分を向上させて行くというか、意識して一つ一つの練習に取り組むことが一番大事だと感じています」

 脳震盪でやむなくポジションを失っても「仕方ない」と前を向く。ワールドカップの中断期には、Aチームとして谷口彰悟とともにCBでコンビを組み、試合前々日まで先発組として練習しながら、前日に突然外された12節のC大阪戦の事を「さすがに『えっ?』と思いました」と笑い飛ばすが、「そこで気持ちを切らせたらいい方向に行かないと思いました」と振り返る。その直後の清水戦で改めてポジションを手にして3連続完封勝利に貢献。その後、肩を脱臼しわずか14分で交代を余儀なくされた柏戦と、ケガのため欠場した徳島戦を除けば、24節の多摩川クラシコまではポジションを掴んだと誰もが思う働きを見せた。だからこそ、25節の大宮戦で再び控えに回ったのには驚かされた。改めて記録を見返すと、今季の前半戦では、ベンチにすら入れていない日々が続いていた。そうした、明らかに厳しい状況にありながらも、本人は平常心のスタンスを崩すことはなかった。

 感情を起伏させない實藤のスタンスは悪くはない。ただ、それにしてもおとなしすぎるのではないかと、同じ四国出身で後継者として見てきた伊藤は心配していた。ただその一方で實藤にはサッカー人生を通して作ってきた彼なりの考えがあり、その結果として、意識して冷静さを保っている。そうであるのだとすれば、伊藤の懸念を払拭するには結果を出すしかない。自他ともに認める楽観主義者であり、泰然自若というよりは鷹揚という表現がしっくりくる。そんな實藤のスタンスは、前向きな表現である「クールさ」と同根のもの。そして、この両者を隔てているのは「結果」である。

 伊藤は、あらゆる荒波を飲み込んで受け流す實藤の性格を「素直」だと褒め「四国の人という感じがします」と続けた。「四国的な感じというものが何かはわからないですが」とも話すが、そう言われて四国出身の偉人が思い浮かんだ。一触即発の薩摩と長州とを結びつけて内戦の発生を食い止め、大政奉還から明治維新へと日本を導いた坂本龍馬である。と、ここまで書いて、褒めすぎかもしれないと考えた。ところが、實藤に相談すると「いいですね」と笑顔を見せるのである。大学生時代を過ごし「自分のサッカー観を作ってくれた」と話す高知の街中に龍馬があふれており、少なからず影響を受けたと話す。「高知大学に入学が決まった時にお父さんから読むようにと渡されたのが、『竜馬がゆく』でした。その本の背表紙を見ながら4年間過ごしました(笑)」と、そんなやりとりの中にどこまでもおおらかな實藤の本質を見た気がした。

 生え抜き選手としては、2014年シーズンのフロンターレでは杉山力裕とともにひと桁台の背番号を背負う数少ない男であり、天才的なボール奪取能力がチームメイトの目標になっていた伊藤の後継者でもある。生半可な結果では周りを納得させる事はできないが、2014年8月15日に新しい家族として、凛ちゃんを授かった。「子どもは格別です」と相好を崩す實藤には、そんな凛ちゃんと奥さんのため。そして、娘さんの誕生をゴールで祝ってくれたチームメイトのためにも、「一皮むけた」姿を見せてほしいと思う。

 人生を変えた高知の街にあふれていた坂本龍馬は「人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ」という言葉を残している。實藤にとって好きな道がサッカーであるのは間違いないが、家族が増えた今は、ただ好きな道を極めればいいという訳には行かない立場となった。そう思いつつ、實藤に家族の話を聞いている時、ふと気がついた事があった。實藤は頻繁に「責任」という単語を口にしていたのである。「2番」を継承した伊藤が意図的に背負わせようとした「責任」と、實藤は自然に向き合おうとしていた。そんな實藤の姿勢は、自らの考えを変えることで楽観的な思考を手に入れた過去に通じるものがある。ただ、過去と決定的に違うのは、實藤に家族ができたという点。家族に支えられ、責任を感じ始めた實藤の成長は、結果的にフロンターレの力になるはず。實藤の今後に期待したいと思う。

マッチデー

   

profile
[さねとう・ゆうき]

長い間チームを支えてきた伊藤宏樹の背番号2を継承。「背番号が変わるだけでも自覚や責任感が変わってくる」と本人が語るように、2014年にかける思いは人一倍強い。身体能力の高さやスピードを買われ、最終ラインのさまざまなポジションで起用されるが、自分にしかできない武器をピッチでどう生かすかは自分次第だ。

1989年1月19日 徳島県
徳島市生まれ
ニックネーム:さね

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