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SEASON 2016 / 
vol.07

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Jung Sung Ryong

頼れるコルキポ

GK1/チョン ソンリョン

テキスト/羽田智之(スポーツ報知) 写真:大堀 優(オフィシャル)

text by,Haneda Tomoyuki(Sports Hochi) photo by Ohori,Suguru (Official)

 2016年2月27日、チョン ソンリョンはエディオンスタジアム広島のピッチに入ると、昨年12月に父のお墓参りをした事を思い出した。

「川崎フロンターレに移籍することになりました。活躍して、いい結果を残し、また報告に来ます」。父に導かれたサッカー人生。新天地を報告し、新しい挑戦への決意を伝えた。

初めての海外、初めてのJリーグ、昨季のチャンピオンとの開幕戦。キーパーグローブに胸に去来した思いを込めた。19分、コーナーキックから広島DF佐々木翔にヘディングでニアサイドを狙われた。左手でボールをはじいた。43分には右手でMF森崎和幸のミドルシュートを阻止した。小雨も降るなか、シュート13本を浴びたが、安定感抜群の守備で1―0の勝利に貢献した。「自分も、チームメートもいい準備をしたので、いい結果が訪れた」。素晴らしい第一歩を踏み出した。

 ソンリョンは1985年1月4日、大韓民国の京畿道城南市で生まれた。体重は3000グラムほど。「普通でしたよ」と笑う。姉弟は2人。1歳年上の姉がいた。「小さい時は、お父さんとお母さんの後を付いていく子供でした」。小学校2年生の誕生日、父からサッカーボールをプレゼントされ、ボールと遊ぶようになった。「(城南市は)昔はすごく田舎だったんです。だから、やることがなくて、よく壁に向かって蹴っていました」。小学校5年生の時、サッカー部が部員を募集しており、友人に誘われるまま入部した。最初は「スイーパーでした」。ゴール前を掃除するという意味を持つ、懐かしいポジション。つまり、キーパーの1つ前で守っていた。「ゴールキックは蹴っていましたよ」と笑う。

GK1/チョン ソンリョン

 ゴールキーパーになったのは中学2年生から。フィールドプレーヤーからゴールキーパーになったばかりの同級生が「もうキーパーはやりたくない」と言い出した。監督は困り、希望者を募った。「僕の知らないところで、友達が僕を推薦したんです。体育の授業ではやっていたので、監督も『まぁやってみなさいよ』という感じで練習試合にキーパーとして出たんです。そしたら、1対1のシュートを止めてしまって。試合の後、監督に『ゴールキーパーをやる考えはないか?』と聞かれたんです」。ソンリョンは両親に相談し、「お前の好きなようにやりなさい」と言われて、守護神への道を決断したという。友人が推薦した理由については「いなかったからですね。背もそんなにおおきくなかったですよ」と振り返る。

 身長が伸び始めたのは中学3年生の時からという。中学3年生の4月、進学することになる西帰浦高校との練習試合で相手選手と接触し、右足首の骨がかけた。手術も受け、全治は6か月。「手術して休んでいる時、大きくなったんですよ。高校に入って筋トレもするようになり、練習していくうちに身長は伸びました」。高校入学時は180センチ、そして、卒業して浦項に入団する時は190センチに達した。

 実家を離れ、済州島の西帰浦高校に進んだ。「韓国のハワイ」と言われる温暖な気候に恵まれた韓国最南端の島。冬には強豪チームがキャンプを張るため、練習試合も組みやすかった。サッカーに打ち込める最高の環境を求めた越境入学。西帰浦高校のサッカー部は、ソンリョンが入学する3年前にソル ドンシク監督が赴任し、強豪校の仲間入りをしつつあった。1つ上の学年は全国準優勝。ソンリョンの代はベスト8だったという。

 高校1年生の秋だった。2000年10月、父の訃報が届いた。「急に連絡が入りました。もうショックでした。誰もいないところで泣きました」。翌日、城南市に急いで戻り、お葬式に参列することはできた。建築の仕事に就いていた父は仕事中に転落して亡くなった。59歳だった。

「お前が家族の長になったのだから、家族を守っていかないといけない。どんな事があっても、どこのチームに行っても最善を尽くしなさい」

 ソル ドンシク監督に励まされた言葉を忘れたことはない。「僕には家を支えないといけない責任がある」。ソンリョンは、単なるあこがれだったプロサッカー選手を本気で目指すようになった。「父が亡くなった時、強い衝撃を受けました。目標が明確に定まりました」。ゴールキーパーになってまだ2年。しかも、そのうちの半年間は負傷していた。ほぼゼロからのスタート。高校生活の全てをサッカーに費やした。

 ソル ドシンシク監督から「お前にはジャンプ力が必要だ」と言われると、70センチほどの台に飛んで降りる練習を3年間繰り返した。両足で、右足で、左足で。縦から、横から。毎日、寮で飛んだ。縄跳びと腹筋も毎日やった。体が強くなっていくのを実感する日々。足りないところを補う努力は惜しまなかった。「(ソル ドンシク)監督には、サッカーの技術的なことより、最善を尽くすことが大事だと教わりました。ゴールされても最善を尽くさないといけない。練習から実戦のように最善を尽くさないといけない。シュート練習でも意識しました。ボールに対する執着心が養われたと思います」。エリート街道とは正反対の道を猛スピードで走った。3年生の時、済州特別自治道代表として全国優勝を飾り、浦項スティーラースからオファーが届いた。

 浦項の話が来た時、既に延世大学への進学が決まっていた。「監督に呼ばれ、『浦項が獲得したいそうだ。どうする?』と聞かれました。僕は『先生はどう思いますか?僕は先生の言った通りにします』と答えました。『最終的にはプロになるんだろう。だったら、早く行った方がいいんじゃないか。高校からプロに入るのは簡単な事ではない。それだけ評価されたんだ』。決心しました。家庭の経済状況もあり、契約金も魅力でした」。2003年1月、浦項に入団した。

 当時の浦項には韓国代表のキム ビョンジが正守護神を務めていた。「すぐに試合に出られるとは思っていませんでした。素晴らしい先輩がいたので、見習って、いろいろな事を感じました。キーパーコーチからも様々な事を指摘されました。ほかの選手と同じ事をやっていると、同じようにしか成長できません。だから、高校の時からやっていることを続けました」。縄跳び、筋トレを1日置きに交互にやり続けた。

 浦項のクラブハウスにはカラオケが出来る小さな部屋があるという。練習前、筋トレ前、縄跳びをする前、ソンリョンは必ずその部屋で1曲歌った。
「ピサン(飛翔)」
イム ジェボムのバラードだ。世界へ飛び出す瞬間を待つ心境を歌っている。
「すごく有名な曲です。いつか世に出るという歌。本当に心に響く歌詞なんです。歌うことでストレスを発散していました(笑)」
最後のコメントは半分冗談。高校1年生の時に定めたプロ入りの目標をクリアしたソンリョンは当時、レギュラー獲得、韓国代表入り、そして海外挑戦という夢を追いかけていた。

 プロ入り4年目の2006年から、キム ビョンジがFCソウルに移籍したこともあり、試合に出始める。積み重ねた努力は報われ、ほどなくKリーグで頭角を現した。2008年、潤沢な資金を持っていた強豪の城南一和から熱烈なオファーを受け、移籍。2010年11月13日、東京・国立競技場でのAFCチャンピオンズリーグ決勝で、ゾブ・アハン(イラン)を3―1で破り、アジアの頂点に立った(グループリーグでは川崎フロンターレと対戦し、1勝1敗)。翌2011年に水原三星に活躍の場を移した。

 韓国代表では、2008年1月30日、ソウル・ワールドカップスタジアムで行われたチリとの親善試合で国際Aマッチ初出場を果たした。「キム ビョンジさんが先発で出ていたんですが、急に腰が痛いと言い出して。前半が終わった時、ゴールキーパーコーチから準備しろと。それで後半から出ることになったんです。準備は常にしていたので緊張はしませんでしたが、気持ちは燃えていました」。ゴールキーパーとしては珍しい途中出場での代表デビューだった。その後は「アジアの虎」の主力に成長し、2008年北京五輪、2010年ワールドカップ・南アフリカ大会、2012年ロンドン五輪、2014年ワールドカップ・ブラジル大会に出場するなど大舞台で活躍した。

 韓国内で移籍する時、プロ選手である以上サラリーなどの条件はもちろん考慮するが、場所も重要だった。城南市には実家があり、母が住んでいた。城南一和への移籍はすんなり決めた。そして2010年で城南一和との契約が終了すると、水原三星と全北現代からオファーを受けた。「水原と城南は近いです。水原に決めた理由のひとつです」。父を亡くしてから、恩師の教えもあり家族を思う気持ちは強くなった。母を楽にさせてあげたい。プロ入りしてから結婚するまで、給料が振り込まれる口座の通帳は母に預けており、小遣い制だったという。

 「いいチームだというのは知っていました。あの時、サポーター、ファンの方がすごく応援していた」
 川崎フロンターレからオファーが届いた時、ソンリョンは2010年4月14日の等々力陸上競技場を思い出した。川崎フロンターレvs城南一和。観衆は10403人。中村憲剛が66分に途中出場し、下顎骨折から復帰した試合だった。「素晴らしいサポーターがいるチーム。新たなスタートが切れるチャンスだし、サッカーをする環境も最高だと思いました」。水原三星で仲が良かった清水FW鄭大世(チョン・テセ、2006年〜2010年に川崎在籍)からも話を聞いた。「テセもフロンターレは好きなチームだと言っていました」。2015年11月24日、ソウル市内で庄子春男GMと交渉し、移籍することで合意した。

 庄子GMは「接戦をものにするにはゴールキーパーのファインセーブが1つ2つある。ソンリョンの実績は申し分ない。年齢的にゴールキーパーとしては円熟期を迎えていた。高さがあるのに、俊敏性も備えていた」と獲得に乗り出した理由を説明する。ソウルでの交渉後、一緒に焼き肉を食べたそうで、「その時、お肉を焼いてくれたんです。いいヤツだなと思いました。義理人情に厚いタイプに見えた」と人柄にも好印象を抱いたという。ソンリョンは「お肉は若いヤツが焼かないといけないんです」と笑った。また、庄子GMはテセからも情報を得ており、「『10点は失点が減りますよ』と言われた」と明かした。

「家族全員で行こうと考えていました。子供もお父さんがいないと寂しい思いをします」
2歳年下の妻イム ミジョンさん、今年6歳になる長男、1歳下の次男、さらに1歳下の三男の家族5人で来日した。ミスコリアだったミジョンさんとは2008年12月、2年の交際を実らせて結婚した。浦項時代、友人の友人だったミジョンさんに一目惚れした。「髪が長く、清楚な感じの美人で、理想の人でした。紹介してくれと友人に言って。そして、会う度にどんどん好きになっていきました」。今回の移籍に関しては「いい話だと思う」と背中を押してくれたという。

 麻生グラウンドの近くに住んでいる。川崎での生活については「日本人の方はすごく優しい。食べ物もおいしいですしね。よく、コストコに行きます。サムギョプサル用の厚い豚肉が売っているんです。自宅でご飯を食べることがほとんどです」と順調そう。家族で動物園に出かけて休日を満喫した。近くの遊園地にも行った。わんぱく3人兄弟。「家の中はにぎやかです。子供がめちゃくちゃうるさいです(笑)。僕の体で遊んでいます。もし、父親が生きていたら、孫の姿を見て喜んでくれたでしょうし、すごく子供たちに良くしてくれたと思います」。高校1年生の時に父を亡くしたソンリョンの頭には単身赴任の考えはなかった。

 家族思いのソンリョンはチームメートにも優しい。宮崎県綾町での1次キャンプ(2016年1月21日〜同30日)で、同部屋だった井川祐輔は明かす。「めちゃめちゃ仲間思い。詐欺に引っかかると思うぐらい、ええヤツです」。家族用のお土産を宿舎の売店で買ってきた時は、ルームメートの井川、橋本晃司、板倉滉にも手土産を買ってきたという。3月末に韓国代表に招集された時は「お土産はいらないで、と言っていたのに子供におもちゃを買ってきてくれた」と井川は言う。キャンプ中、部屋にいる時は片言の英語でコミュニケーションを取り、お互いの家族をLINEのテレビ電話で紹介しあったりした。

 感情を露わにすることもあまりない。3月5日、J1第1ステージ第2節、ホーム開幕戦を湘南と戦った。20分、ソンリョンはジャンプしてボールをキャッチした瞬間、湘南の選手と交錯した。ボールは手からこぼれ、ゴールに入った。高山啓義主審はキーパーチャージではなくゴールと判定した。ゴールキーパーの立場なら激高し、抗議してもおかしくない場面だった。しかし、ソンリョンは努めて平静を装った。「僕が言う前にチームの仲間が抗議してくれていた。ここで自分が抗議したり、異議を言ったりすると、警告や退場のカードが出てもおかしくない状況でもありました。そうなったら、自分だけの問題ではなくなります。10人になって戦うことはチームにとって損になります」。感情をコントロールする術に長けている。高校時代から、人と言い争ったり、喧嘩したりすることはなかったという。

 冷静沈着。それ故、「静」から「動」へ移る時の迫力はすさまじい。ギリギリまで我慢し、ビッグセーブする。4月10日、J1第1ステージ第6節、ホームでの鳥栖戦は真骨頂を見せた。68分、鳥栖のFW岡田翔平が味方のスルーパスに反応し、抜け出してきた。1対1。ソンリョンはむやみに飛び出さず、ペナルティスポット付近で構えた。コンマ数秒の駆け引きと我慢比べ。岡田に右足で左サイドに打たれるも、ソンリョンは右足を出し、ボールに当てた。まるで岡田にシュートを打たせたかのようなスーパーセーブだった。4月2日、J1第1ステージ第5節、ホームの鹿島戦でも攻守が光った。

「サッカー人生の転機はやはり高校1年生の時ですね。大きな転機でした。優勝争いする時、大舞台に立つ時、そういう大事な時は当時の事を思い出して頑張ります。お父さんのためにも、精神的に強くならないといけないと今でも思っています。厳しい時、苦しい時、家族の力が大事になるんです。このフロンターレで最善を尽くします」

 父を亡くして強くなった責任感。川崎での家族生活も充実しており、さらに強くなるだろう。チョン ソンリョンに救われる試合はさらに増えていくはずだ。

マッチデー

   

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[ちょん・そんりょん]

今シーズン、水原三星(韓国)から完全移籍で加入した大型GK。安定感のあるセービングと爆発的なキック力が特徴。韓国代表GKとしてオリンピックやワールドカップ出場を経験するなど、実績に関しては文句なし。フロンターレのスタイルに順応できればJリーグでもブレイクするはず。ゴールマウスの新しい顔として大きな期待がかけられている。

1985年1月4日、大韓民国
済州特別自治道済州市生まれ
ニックネーム:ソンちゃん、ソンリョン

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