約束の日
GK30/Arai,Shota
テキスト/隠岐麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Oki,Marina photo by Ohori,Suguru (Official)
5月6日は、新井にとって特別な記念日になった。
ひとつは、Jリーグデビュー戦。
もうひとつは、結婚記念日である。
新井章太がフロンターレにやってきたのは2013年。
それからあっという間に4年が経過した。
だが、その4年は、新井の人生で最も濃いものになった。
「ヴェルディでクビになって、フロンターレに拾ってもらったから、ここでチャンスをものにしなきゃいけない。1年でも長くサッカーを続けられるように毎日やるだけやってやろう、そういう野心がありました」
だが、試合に出場したのは2015年5月6日。それまでの日々は、どんなものだったのだろうか。
2013年、新井のフロンターレでの選手生活がスタートした。
「1年目は、もう全て最初からだし、どういうサッカーかもわからないところからのスタートでした。いろんな選手たちのシュートを受けても全然レベルが違う。とにかくがむしゃらに食らいつこうという気合だけは十分でした。
隙あらば、メンバーに入ってやろう、ぐらいの気持ちだけはありました。
でも、プレーの面は、今振り返ると、もうしょぼいもんです。今だから言えるけど、最後までボールが見えていないとか、キャッチの技術も全てが足りていなかった。風間さんのサッカーは、GKにDFのような要素も求められますが、何から何まで目が慣れていないし。だけど、本当にそういうレベルのところから始めて、毎日毎日ちょっとずつうまくなっていく。あの頃は、シューターに対して自分から仕掛けるなんて出来なかった。そういうことが分かるようになるまで、2015年の試合に出る時まで時間を要することになるんですけどね。
でも、そうやって、毎日、それが4年間今日までの間、1日ずつうまくなっている自分を感じることができた。本当に、ちょっとずつレベルが上がってきた、と思う」
2014年、フロンターレ2年目。
「2年目は、とにかく絶対に3番手になってやろうと思ってシーズンをスタートしました。最初は4番手から入っているからそれが当たり前だった。でも、とにかく3番手にはいないと試合に絡めないから絶対に獲ってやろうと思って最初のキャンプから入りました。
宮崎での二次キャンプの時に、感覚的にもシュートが止められるようになったり、手ごたえを感じることができた。それで、徳島との練習試合で、PKを止めたり、自分としてもいい出来だと感じることができた。なんか、感覚としてひとつ違うことを掴めた実感がありました。
新吉さんも3番手4番手の選手に対しても、足りないところを2部練習で補ってくれたりとか、少しずつ自信をつけてくれて、実際に自信がついてきて…。
それで、夏の天皇杯で初めてベンチに入ることができた。その時の、うれしさったら半端なかった。めちゃめちゃうれしかったです。本当に嬉しくて、その試合、フロンターレは延長で逆転勝ちして、勝ったことがまたうれしくて、本当にうれしかった」
私は、新井章太は、ベンチで「チームに勝って欲しい」「勝ったらめちゃめちゃ嬉しい」気持ちの強さが、そのまま彼のサッカー選手としての強さの要因のひとつなのではないかと常々思っていた。そして、また、そういう気持ちをフロンターレで持つようになったのか、以前からのものなのだろうかを聞いてみたいと思っていた。
「それは、ずっとですね。大学時代もチームが勝つことが嬉しかったし、ヴェルディの時もベンチに入っていることがけっこう多く、それは本当に勝ったらうれしかった。勝つことに関しては、誰よりも嬉しいんじゃないですかね、フロンターレの。
でも、そういう気持ちがいつからあったのかは、覚えていないですね。わからないです。ただ、とにかく自分のチームが上にいて欲しいから、勝ちたいし、もちろん試合に出た時もなんとしても守ってやろうという気持ちなんですよね。今もソンリョンが試合に出て、自分は試合に出られずベンチにいるけど、いざ試合でスタメンが決まったら、ソンリョンがベストなプレーが出来るように気を遣うし、ベンチでもとにかくしゃべってる。年齢的にも下の選手の方が多いし、若手は自分からモチベーション上げるのが難しいかなと思う時もあるから、『お前、準備しとけよ』って言ったりしてます」
そんな新井のことを、ソンリョンも「明るくてチームメイトとしても同じGKとしても教わることも多い。お互いにリスペクトしている関係」と話していた。
すると、新井が思い出したように、過去のルーツについて話し始めた。
「俺、中学時代も、同じGKの同級生が関東選抜とか出ているすごいやつがいて、まあ試合に出たかったですけど、実力を認めたら自分のほうが下だと思っていたし、そういうなかで頑張ってやってきた。中学の時に試合に出ていたらそこで満足して今の自分はいなかったかもしれないし、俺は出てるからって思ったら、次に次にっていう気持ちが生まれなかったかもしれない。どうやったら、試合に出られるんだろう、どうやったらうまくなれるかってその頃からずっと考えていたんですよ。そいつを抜きたかったけど、最後まで抜け切れなくて、中学時代はほぼ試合に出てない。だから、高校でレギュラーで使ってもらってやっと試合に出たぐらいです。
おかんにも言われました。お前はそういうのがあったから大丈夫だろうって。
だから自分でも思います。
俺、一生、腐らないですね」
2015年、勝負の年が始まった。
ここまで読んで来た人は、もうお気づきだろう。
新井は、この年、勝負の年と自分に決めていた。
「そうです。4番手、3番手になって、2015年は2番手以上にいないと絶対に試合に出られないと思って、まずキャンプが大事だと思い、キャンプまでに体を動かして準備をしました。
洋平さんが怪我をしたことで、試合に出ました。ある時、新吉さんに『チャンスをものにしたら絶対に離すな』と言われた言葉がけっこう響きました。肩を痛めたり、足の指を怪我したりしたけど、絶対にここで休んだらダメだと思って、必死でした。肩は半年以上痛かったけど、それがキッカケで補強トレーニングを始めたりしました。足の指を怪我した時は、痛くて歩けなかったけど、それでも絶対にやろうと思って痛み止めを飲んでやりました。肉離れもしたけど、絶対に離れてしまうと、すぐ洋平さんが戻ることになる。もう一回、戻すわけにはいかない。昨年は、人生で一番いい年だったけど、一番きつかったです。試合に出ることで、今まで使っていなかった疲労や筋肉もあったし、そのケアもするようになりました。試合に出てみてわかったことは、意外と試合に出ている1年の方が長いということです」
GKは、かなり特殊なポジションである。
ひとりしか試合に出られない。そしてまた、試合に出ることで得られる「経験」という要素が、非常に大きい意味を持つ。
新井にとって「経験」は、昨年に訪れたことは前述した。
それによって、得られたことの大きさは、どのようなものだったのだろう。
「やっぱり一番は、練習の時に“もし、試合だったら”と考えられるようになったことです。今、(シュートを)決められたけど、試合だったらどうなんだよ、自分!とか、こんなの止められなくてどうすんだ!っていうね。今までは試合に出るために頑張って練習していたんです。でも、試合に出てみたら、この場面はこういうことも可能性がある、実際にこういうこともあった、だからこうしてみよう、という風に試合のことを振り返って反省できるようになった。もう本当に出ていなかったらわかんなかったことがありすぎて、GKって本当に試合に出ることが大事だなと思いましたね」
また、試合に出た経験は、そうした「試合」を想定して練習に落とし込めるようになったことだけではなく、他の面でも大きい変化をもたらした。
「もう少し身体を絞ったほうがいいということも分かって実践したり、重いものを持ち上げるなどではなく、腕立てをスピードでやるなど、早い筋トレをして筋肉をつけたり、首周りを懸垂で鍛えたり、ということをやるようになりました。そういう意識も変わったし…、だから、今の俺のほうが調子は絶対にいいと思うし、今の自分だったらもっとチームが苦しい時に助けられたんじゃないかなってことも思いますね。
もし試合に出なかったらそういうことをやろうとも思わなかったし、こうしてみようとかも考えられなかったと思う。30試合近く出させてもらって、何が足りないか反省した時に、失点シーンとかもそうだし、振り返ったら、お前、それはいけるだろうっていう場面がいくつもあった。それいかないと、やっぱり出られないよ、お前はっていう場面もいくつもあった。だからこそ、今の俺が出たらチームをもっと助けられたんじゃないかって思う。だから、1試合でも試合に多く、とにかく出たいですよね」
ちなみに、Jリーグデビュー戦となった2015年5月6日、新井は緊張よりも何倍ものワクワク感と高揚感に包まれ、「初めてである」ということへの緊張に悩まされることなくピッチに立った。そしてまた、実は、部屋の明かりがついてないと眠れないなどデリケートな一面があるにも関わらず、なぜか、試合前日だけは、ぐっすりと熟睡でき、朝パッと目覚めることができたのだという。
「何でなんですかね?俺にもわからないです。寝つきはいいほうじゃないのにね」
GKコーチの菊池新吉は、2013年から新井の伴走者としてトレーニングを積み重ねてきた。そうした2年間を重ねて昨年試合に出た新井のことを菊池は、どんな風にその成長を感じてきたのだろうか?
「やはり、レギュラーを昨年獲得してシーズンを通して戦いましたが、章太をひとことで表現するなら“スポンジ”のように全てのことを吸収しているというのがしっくりきます。いいプレーもそうですし、うまくいかなかったプレーも全て、自分の力になったのが昨年のシーズンだったと思います。水溜りにスポンジを置いたら水がぐんぐん吸い込んでいくような感じでしたね」
「1日、1日うまくなっている実感がある」と語る新井もまた、菊池新吉GKコーチとともに、GK練習を積み重ねてきた日々をこう振り返る。
「本当にうまくなったのは、100%新吉さんのおかげ。この4年間でだいぶ成長させてもらいました。最近は、動きすぎたらボールが最後見えなくなるからもうちょっとどっしり構えて、とか原点に帰れるようなアドバイスをしてくれます。本当に、新吉さんに言われたようにやったら、できるんですよ。だからすごい的確なアドバイスなんですよね。常に俺らのことを考えてくれる。今は、ベンチのことが多いから出るかもしれないし、ベンチかもしれない、という難しい準備になるけど、そういうサポートもしてくれます。4人それぞれ、立場とか準備によってサポートしてくれて、そこまで考えてもらえて本当にありがたいです」
こうして、新井章太の最も濃くて、最も長い1年が終わった。
2016年、フロンターレに韓国代表のチョン・ソンリョンが加入した。
当然、前年レギュラーとして試合に出てやっとチャンスを掴んで「絶対に離さない」と誓っていた新井にとっては、悔しいスタートとなった。
2013年、自分は4番手で当たり前だ、という気持ちでがむしゃらにスタートし、翌年には絶対に3番手になって試合に近づこうとし、2015年は試合に出るんだ、という強い思いで、チャンスを掴んだ。
「だから、ベンチにいる2番手というのをあまり経験せずきたので、余計にもどかしい気持ちはあります。あの嬉しさと試合の感じとか一回味わってしまったら、まじで試合に出たいですもん。俺もできるっていう気持ちもありますし、キャンプの時とか、絶対俺が出るんだって思ってやっていました」
とはいえ、今シーズンの新井の現実として、正GKにはソンリョンがおり、サブGKとして過ごしてきた。ソンリョンから受ける刺激もあるし、とはいえ、ライバルであり絶対に抜かなければ試合に出られない存在でもあり、チームメイトとして協力しあう仲間、でもある。そしてまた、新井の周りにはそういう切磋琢磨できる環境や人に恵まれてきたという。
「ソンリョンは、サイズが大きいからいける距離とか全然違うんですね。だから、刺激にもなるんですけど、参考にできないところもあります。前に出て行くタイミングとか、俺ら、俺や、駿や安藤とかは前で勝負しないと届かないけど、ソンリョンは後ろで構えてても届く。それは俺らには出来ないことだから、ソンリョンのようなプレーをするのは難しいです。でもね、ソンリョンは、めっちゃ優しいし、あれで、性格悪かったら口きかなくてもって思うんですけど、あれだけいい人で、普通にプレーもすごいですからね。だから、もちろん試合の日は応援していますよ。でも、それまでの練習期間は、毎週、毎週、俺が出るんだ、という気持ちで狙っています。
あとは、(川島)エイジさんがフロンターレの練習に参加した時、同じぐらいのサイズだし、本当に勉強になりましたね。
タイミングとかポジショニングとか、相手をみて、相手のポジションを把握して、そこにきたらここで構えて最後までボールを見ているな、とかなるほど、そうなんだ、という感じでずっと見てました。また、練習に早く来てほしいです。
洋平さんも、特別な存在ですね。絶対に抜けない人だと思っていたし、昨年はたまたま怪我しちゃったから流れで俺がチャンスを掴んだけど、まだ全然抜けていないと思うし、本当に毎日毎日洋平さんから勉強していました。そういう人がいたから俺は頑張れたと思うし、俺が一番上だったら伸びないし、そういう人たちとやって盗んでいきたいですね」
西部洋平からは、今年のナビスコカップで新井が出た最初の試合で「調子いいね」とLINEが送られてきたという。テレビからキャプチャした新井のプレー中の写真とともに。
「洋平さん、すごいな。調子いいのすぐわかってくれたんだってうれしかったですね」
本当に、GKは特殊なポジションである。
たったひとりしか試合に出られず、そしてまた経験が大きくものをいうポジションでもある。
しかしながら、少人数の同じポジションの仲間同士、協力し合わなければ、よい練習ができない。ライバルであり、仲間。それが最も顕著に現れるポジションである。
「練習中は本当に1週間準備して、絶対に抜いてやろうという気持ちでやってますよ。練習中も絶対ソンリョンのチームより失点を少なく、とか、誰にも負けたくないです。性格悪いかもしれないけど、蹴落としてまでとか、そいういう気持ちです。どうにかスタメンになんねぇかなあって思うし。とにかくシュート練習も0で押さえたい。決められるとイライラするし、自分にむかつくし、本当に目立たないと。そもそも俺、目立ちたがりだし。『ナイス、しょうた!』って言われると、超うれしいんですよ。体張って絶対とめてやろうって思ってやるんですけど、プレーの反省もめっちゃするんです。練習で失点すると、こうすればよかったじゃんって思うし、なんであそこで行かなかったんだろうって思う。J1のハイライトで他のGKのプレーもみながら、『お前、そこいけよ』って突っ込みながら、自分も振り返る、みたいなこともしますね」
2016年4月29日、出番は突然にやってきた。
ソンリョンが試合中に負傷交代し、途中出場で突然試合に出ることになった。無失点で試合が終わった時、新井の心は喜びと充実感でいっぱいだった。
「ああいうことがあるから本当に毎日の練習でも、何があるかわからないから準備の大切さっていうのを実感しました。だからあの試合でまた意識が変わったし、俺がやってきたことは大丈夫、間違いなかったって思えた試合でもありました。やっぱり昨年の経験があったから心構えも違ったし、けっこうスムーズに入れて、最初のプレーさえしっかりやれば大丈夫だって思っていました。
そう考えると、そのときそのときは常に全力投球だから自分の意識の変化なんて気づかないところもあったけど、1年ずつ、刻んできて確かに今は全然違う気持ちでやっているかもしれないですね」
それから1週間後の5月6日、新井は入籍をした。
2015年の5月6日は、デビュー戦の日で、それまでの道のりとそれからの道のりを一緒に支えてもらった記念として、この日を選んだ。
入籍をしたのは今年の5月6日だが、その1年前の初デビュー戦の時から、すでに新井にとっては「家族」のような存在だった。だから、試合に出る=家族とともに歩んできた道のりだから、ともに戦ってきた同志のようなものなのだという。
「一緒にいるようになって、試合にも出られるようになったんですよね。常にサッカーのことを考えられるし、食事のことも体のことを考えて作ってくれて、昨年試合に出たときの怪我も食事で治りが早かったと思います。サッカーのことが第一になるように考えてくれて、本当にありがたいし、友達と出かけることもなくなりましたね。サッカーのことは詳しく分からなくても、同じ気持ちを共有してくれるチームメイトみたいな存在です。俺が思っていることを先に言ってくることもあって、そういう気持ちにこっちもテンションがあがるっていうかね。『章太だってやれるよ』って言われると、そうか?ってね。向こうは俺に対する贔屓目で言ってるだけなんですけど、同じチームメイトだからね」
そういう最高のチームメイトでありサポーターであるパートナーも得た新井は、がむしゃらな日々を送りながら、練習では「絶対試合に出てやる!」と意気込み、ベンチからは大声援をフロンターレに送る毎日を過ごしている。本人はそんな自分を「性格悪いですよ」と言うものの、そうは到底思えない。
ガンバ戦で、久しぶりに勝利して最高の気分に浸った新井はこんな気持ちでいた。それが彼の人となりなのだろう。
「フロンターレでとにかく出たいし、もう本当に感謝しかないんです、このチームには。俺を拾ってくれたんですから。ここまで育ててくれて試合に出られない何年間も契約してくれて、最高にうれしいです。ほんとまだ何も恩返ししていないから出て勝ちたい。勝って優勝させてあげたい。だから毎試合毎試合応援したくなるし、ベンチだったら、頑張れって出る選手に伝える。とにかく、フロンターレに勝ってほしいんですよ」
そして、その試合、偶然に1週間後に結婚を控えた新井の奥さんが、友人に会いに関西に出かけており、新井の出場を目にすることができたという。
「なかなか、お前の運、すごいな」と伝えたという新井はまた、最高に幸せそうだった。
エピローグ
「なんでマリノスと試合してんの?」
試合中、新井の言動の異変に気づいた田坂がドクターに伝え、新井が担架に乗せられてピッチを退き、高木駿がピッチに入った。
脳震盪を起こしていた新井は、ロッカールームで「昨日の夕飯は?」など繰り返される質問に、ほんのちょっとずつ記憶が戻ってくるのを感じた。
「ケンタくん、今日、点決めましたよね」
久々のJリーグ先発出場となったこの日は、新井にとって“約束の日”でもあった。
新井は支えてくれた奥さんと夫婦になるとともに、3歳の女の子の父親になった。
選手入場がどうしてもしたいと願った娘は、マリノス戦の前日に興奮したせいか熱を出し、入場前、緊張で新井に抱きついて離れなかったという。新井が救急車で運ばれ、家族が同乗することになり、その車内で「パパが死んじゃう」と号泣をしていたという。
「娘が」と話す新井は父親の貫禄がたっぷりで、最も身近で支えてくれる家族が作れたんだなぁと伝わってきた。
「あのふたりがいなかったら、俺は、試合に向けた準備ができていないと思います。嫁さんが俺のリクエストの料理を作ってくれたり、試合の前は、不安があったら娘の写真を見るんです。そうすると落ち着いてくる。今の俺は本当にあのふたりがいないと無理。ひとりで戦っているんじゃなくてチーム、一心同体なんですよね」
今年のリーグ戦が終わる頃には、家族がもうひとり増える予定なんです──。
そう言って、新井は、娘とともに選手入場したことを思い出したようで、その際にかかる“アンセム”を口ずさみながら練習場を後にした。
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[あらい・しょうた]
大舞台でも揺らぐことのないメンタル、そして安定感のあるハイボール処理が特徴のGK。日々の地道なトレーニングの積み重ねにより、シュートストップや足下の技術が飛躍的に向上。昨シーズン、プロ入り5年目にして公式戦初出場のチャンスをつかみ、大きな飛躍を遂げた。厳しいポジション争いが予想されるGK陣の中で、個性を発揮してもらいたい。
1988年11月1日/埼玉県
秩父市生まれ
ニックネーム:ショウタ、ラッシャー