MF15/谷口彰悟
テキスト/隠岐麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Oki,Marina photo by Ohori,Suguru (Official)
2010年にフロンターレに加入して今年で5年目。
プレーの質と幅に変化と成長を遂げ、発展途中で、まだ伸びしろがあると感じさせる小林悠。
そして、フロンターレイズムを継承しようとする意識を持ち、継承すべきひとりだと自他ともに認める選手になった。
小林悠の進化の理由と、フロンターレ愛とは──。
何をすればいいか、わからなかった。
自分に言い訳ばかりしていた。
自信がなかった――。
それが、2012年の小林悠だった。
今の姿からは、想像もつかないだろう。
何が彼を成長させ、進化させたのだろうか。
小林悠は、2010年に拓殖大学から川崎フロンターレに加入した。大学2部リーグで活躍し、JFA・Jリーグ強化指定選手として3年生の時には水戸ホーリーホックで公式戦で5試合出場も果たした。異例とも言える大学4年の4月という早いタイミングでプロ入りが決まった。ところが、その後、秋に右ひざの前十字じん帯断裂で大怪我を負ってしまったため、フロンターレ加入当時は、リハビリからのスタートだった。
怪我が治ってからは、途中出場でゴールを量産する“点取り屋”として一躍、注目を浴びた。2012年は、クラブとして初の8連敗を喫するなど、苦しい時間を過ごし、そんな中シーズン途中で風間監督が就任することとなった。
与えられたポジションは、センターフォワードではなく、右に開いたポジションだった。初めてやるポジションに、最初は戸惑いしかなかったという。
「右サイドでやることが多くなって、正直に言って何をすればいいかわからなかったです。真ん中でワンタッチでシュートを打ってゴールを決めるだけの選手だったので、右サイドでプレーすることも嫌だったし、『オレはフォワードなのに、なんで右をやんなきゃいけないんだろう』って思っていました」
前向きな小林にしては珍しく悲観的で、ともすると投げやりな気持ちになってしまうこともあった。家に帰れば、妻に愚痴を言ってしまったこともある。風間監督就任以来、スタメンで出ていた試合で前半でピッチから退いた試合もいくつもあった。だが、うまくいっていない原因は自分自身にあることに気付いていた。
風間監督は、ミスをせず、ボールを失うことなく、相手をはがしてフリーになり、連動してボールを動かしていくサッカーを標榜している。小林は、相手のマークを外すということが練習でできなかったという。
「練習では、チームの守備陣も話を一緒に聞くので、その筒抜けの状況でマークを外すということが難しくてできなかったです。ギリギリまで待って味方選手の顔があがった瞬間に1、2歩パッと動けばよいというのが最初は難しくて、動きすぎたり、早いタイミングで動きだしてしまったりしました。今は、タイミングと1、2歩動くだけで相手をはがせるようになった。それは、風間さんになってからできるようになったことです」
できないことのイラだちは相当なものだった。
「引き出しがなくて、やりたいけど、できない。そういう自分にイライラしていました。本当にかっこ悪い自分だったと思います」
そういう自分を変えようと、シーズン終了後に、サッカーノートに決意を綴った。
「来年は、絶対に言い訳をしない。人のせいにもしない。右サイドが自分のポジションだと思って取り組もう」
2013シーズン、気持ちを切り替えて臨んだことで小林のプレーは変わっていった。
なんとかして自分の良さを出し、得意な形を探そうと思っていた。
「前から練習は一生懸命やっていたけど、風間さんに言われ、ミスをしないこと、ボールを止める、蹴るなど当たり前のことを本当に意識するようになった。自分が動き出しても味方の選手がそれができなかったらパスもこないし、逆にいい動き出しが出来ていいパスがきても、しっかりボールを止められなかったらシュートにつながらない。そういうひとつずつのプレーに対してすごく意識するようになりました」
そして、田中裕介と山本真希と小林の3人、つまり右サイドの三角形の連携の中から、プレーのヒントを得ることができた。
「ドリブルはうまくないので、とにかく出して、動くを徹底していました。そのうちに右の3角形で崩せるようになっていったんです」
ある時、マーカーを背負っている小林から田中(裕)にボールをさげ、田中(裕)が山本にプラスのパスを入れる瞬間に、自分が動き出して相手選手がボールウォッチャーになっている隙に相手の視野から外れることに成功。その結果、フリーな状態で山本から自分にボールが戻ってきたことで、チャンスが生まれた。
「これだ」
出して、動く。動きを止めなかったことで、相手の視野から外れ、さらにフリーでボールが戻ってきて、チャンスにつながったのだ。試合後、「あのタイミングだね」と、ふたりに確認をし、ひとつの成功パターンを形にすることができた。
「成功した時に、あぁこれか、と思った。大事なことは、その時に、しっかり成功だと認識して、またトライしてみること」
それを体で覚えて、チームメイトと連携する場面であれば、必ず「今のタイミング」と確認をするようにした。それを繰り返すことで引き出しが増えていき、プレーの幅が少しずつだが、広がっていった。
守備についても、動き方がわからない場面もあったが、山本から「今のは、もうちょっと絞って」とコミュニケーションで体得していったプレーもあったし、田中と受け渡しなどを連携し、体を張って守備にも顔を出すようにした。
山本はこう証言する。
「うまく右でリズム作ろうぜ、という話をしました。ユウ(小林)が動き出しがいいのは誰もが知ってるし、裕介(田中)からオレに来たタイミングで出せば一発で裏に抜けるしチャンスになるから、それは3人が分かっていました。ユウは要求もしてくるので、オレがユウに出さずに横に出したときに、『今のはディフェンスの裏を取れるから出して』と言われることもあったし、オレも意識するようになってチャンスが生まれて、連携ができてきた。本人は、右のポジションが模索中だったのかもしれないけど、オレは普通にやれてたと思う。動き出しはもちろん左右の足で決められるし、ヘディングもあるしね」(山本)
一方の田中(裕)は、こんな見方をしていた。
「ユウは守備に対しても頑張れるし、かといって攻撃の選手なのであまり後ろに下がってきてもらいたくないので、それには(守備を)頑張ってほしいけど頑張りすぎないようにということは考えました。絶対についてこなきゃいけないときはついてくるけどそれ以外はオレが見るからっていう話をしました。年齢が近いし話もよくしたので、右サイド3人の関係や連携も、どんどん深まっていきました。ユウは、オレがちょっと戻りきれないなという時には戻ってきてくれたし、今見ていても、やっぱりちゃんと守っているし、迫力も出てきた。確実に幅が広がったし、以前はボールを真ん中で失っていた時期もあったけど、今は右もできるようになって違うと思う」(田中)
必要とあらば、必死に走って戻って守備にまわることもあったが、そこは元来負けず嫌いな小林らしい考えをもってプレーしていた。
「守備は得意じゃないですけど、頑張れるほうなので、裕介と声をかけあいながら頑張りました。自分のマークとか自分のサイドからやられるのは絶対に嫌だったので、下手だけど必死に頑張る、必死に守るというのをやっているうちに、今は何をする時なのか少しずつ覚えていった感じですね」
がむしゃらな日々を送っているうちに、失っていたものが戻ってきた。
それが、「自信」だった。
「大事なのは気持ちですよね。開き直って、みんなより自分は下手だから下手な分うまくなれる。それに、下手なんだから、みんなより絶対うまくなれる幅はもってるかもしれないし」と笑顔で言えるまでになった。
今では、右サイドから相手マークを外してゴール前に走りこんでいく小林のプレーは、相手選手が分かっていてもマークを外されてしまう、そういう武器となった。
「あの角度だけは、何回もとれるから完全に自分のものにできたと思います。最初は考えながらやっていましたが、試合をやるごとに体で覚えていって、いまは右サイドに行ったときに、ケンゴさん(中村憲剛)やリョウタ(大島僚太)がボールを持ったらいったん相手から離れてボールホルダーに相手が目がいった瞬間に動きなおすんですけど、自然と間接視野で相手の顔を見ながら動き出すことができるようになった。でも、左サイドからはまだできていないので、どちらもできるようになりたい」
そして迎えた2014年シーズン。
小林は「もっと、うまくなること」を掲げてシーズンに入った。
「昨年は、怪我をしてしまった後、途中出場が多かったので絶対にスタメンで試合に出たいと強く思って最初からアピールしました」
メンバー構成に従ったよりよいサッカーの実現のための、システムの変更もあり、2014年、小林は大久保と2トップを形成することになった。「ありがたいポジション」(小林)だが、昨年の経験がプレーの質や厚みを高めてフォワードとして成長させてくれたこともまた、大きな財産となっていた。
以前は、ゴールを決める選手だった小林が、今では中村憲剛を起点として、崩していく一角のプレイヤーとしても機能するようになった。
「昔は自信がなかったから、自分がいいパスまわしの中に入ったら壊してしまうんじゃないかと思って積極的に入っていけませんでした。今もみんなより全然下手だし、基本的には僕は他の部分で攻撃にアクセントをつけることが役割だと思っているけど、それだけじゃダメなので、ミスをしないで味方を使い、パス回しにも参加して崩していけるよう、みんなに追いつけ追い越せと必死で練習しています。それが少しずつできてきたのかな、という感じです。もっとうまくなって慣れれば柔軟に入っていけるだろうし、動き出しとか自分の特徴はそのまま出して、なおかつもっといい選手になれるかなと思います。あと、ポストプレーがもっとうまくなりたい。全部おさめたい。けっこう厳しいボールとか五分五分のボールに対しても先に瞬発力とかでおさめられれば、中盤にいい選手がいるのでそこに落としてまた攻撃につながれると思うので、そういう部分をさらにうまくなりたいです」
プレーの選択肢も増え、「止める、蹴る」の基本プレーの質の変化は、出し手からの供給でも同じことで、良い動き出しと、足元にピタッとくるパスの相乗効果でよりチャンスの回数が増えていることもまた実感していた。ボランチの大島とは、よく話をしながらタイミングや状況判断をしているのだという。
大島は、こう語る。
「ヨシトさん(大久保嘉人)からは、とりあえず出して、と言われています。ユウさんの場合は、出せるタイミングでも今出したら相手とぶつかる形になるならやめようかと僕が判断することもあって、そういう時は、コミュニケーションを取って、ユウさんには反転があるし、意図としてはスッと裏に抜けたかったという意見をユウさんが持っていれば、じゃあ次はやってみようか、など話し合います。あと、チームとして相手が前からプレッシャーをかけてくる状況で、ユウさんからオレも下がって中に入っていたほうがいいと思う? と聞かれて、そうするとユウさんの裏に抜ける動き出しが消えちゃうと思うので、あまり中にはいらなくていいと思います、と意見を言ったりして、練習や試合のなかでよく意見交換をしていますね」(大島)
2013年にフロンターレに加入してきた大久保嘉人からもまた刺激を受ける日々だったのは当然だろう。
「ヨシトさんはめちゃめちゃうまいですからね。ボールの止め方とか、なんであんなに背負っていても振り向きながらキープできる余裕があるんだろう。ほら、来いよって感じですよね。あれは、僕はできないです。でも、向き不向きとかタイプもあるし、僕は僕でまた違うターンとか、ヨシトさんとは違うキープの仕方ができればと思う。タイプが違うフォワードがふたりいれば、相手もイヤだろうと思うので」
この数年の間に、小林の変化、チームの中での存在感、ピッチ上での安定感は、ずいぶんと増したと思う。そういう小林を中村憲剛は、見続けてきた。
「完全に体得したよね、動きを。それは感じます。逆にオレが出すの遅いって怒られたりね(笑)」(中村)
ただ、中村憲には、小林の成長を認めている分、さらに高い要求から、小林のプレーの改善点を見ているところもあり、またそれを本人にも言い続けてきた。
「ただ、オフサイドになっちゃう場合もあるから、ユウとは味方同士でせめぎ合ってるね。もちろん、一発取れれば大きいし、それはユウならではの動きなんだけどね。実際に、前はオレからここに出したいから動けって言っていたけど、最近は、それがユウ自身が分かって、あいつが先に見つけることができるようになってきた。動き出しがわかりやすいのに、ちゃんと裏が取れているなと思う」
崩しの一角やパスワークの中にも入れるようになってきたことについて、さらに今のフロンターレのサッカーを高めるために、こちらの予想や想像を超えている内容まで中村憲は言及した。
「できるようにはなってるけど、まだまだのところもある。本人には言っているけど、まだパスが雑。最後のところを丁寧にやる。それを口酸っぱく言ってる。点を取ることと、それにプラスしてゴール前でもっと正確にプレーしろと言っています。お前が正確にプレーできれば味方も点が取れるし、味方からも返ってくるから、とにかくペナ(ペナルティーエリア)の前では本当に集中してやってくれ、ってね。ユウは、たまにノリでパスを出すときがあるから、そうすると相手ボールになってしまうことがある。もちろん、今言っていることは、ユウができるようになったからこその高望みの部分もあるんだけど。でも、もう一個上にのぼってもらうためには、それができれば裏もとれるし、パスも出せるし、シュートも決められれば大きい。そうなれば、もう代表でもやれるだろうって話はしてる。あいつは、『そうですね、分かってます』って言ってたけど。口うるさく言ってるけど、後ろでつないでフォワードは簡潔させるポジションだから、なんでもいいから点は取ってほしい。その最後のところで適当なパスで終わったらもったいないから」
前述したように、パスまわしの“崩しの”一角に小林が入れるだけプレーの質と幅を広げてきたからこその話なのだが、小林の伸びしろに中村憲も期待しているのだ。
「そう、前はそういう中継地点に入ってこなかったから。それが今は、入ってこられるようになったから、だからこそ、それをフィニッシュにつなげる仕事をやってほしいなと思う。あいつにはまだ上があるし、まだまだこれからだからね」
そして、こんな風に付け加えた。
「最近まわりからもとりあげられて期待されて、メディアから囲まれる人数も増えてきた。そこでちゃんとしゃべることでアピールして、なおかつ頭の中を整理して試合に臨む、ということができつつある。それは活躍がコンスタントになっているから。良かったり、悪かったりじゃなくて、安定してきている。自分が引っ張んなきゃっていう意識があいつの中にあるからだろうし、結果で応えればまたそれが成長につながる。いいサイクルに入っていると思う」
2014年4月3日、日本代表候補合宿に小林悠は初招集された。だが、足の怪我があり、結果的に辞退することとなった。
「選ばれた時、怪我をしていたから力を出せないだろうなという気持ちと、フロンターレからひとりだけだったので、フロンターレの選手として恥じないようにプレーしようと思ったことをすごい覚えています」
万全の状態ではなかったためタイミングには恵まれなかったが、だがしかし、日本代表候補というところにまで声がかかることの意味は感じていた。
「正直、自分なんて全然まだまだだし、代表なんてめっそうもないって感じです。でも、結局自分の評価は、人がするものだから、呼ばれたということは、少しでもプレーがいいなと思ってくれた人がいたということだろうし、そういうのを少しずつ自分の自信にかえていければいいなと思います。代表の練習にも参加できたら、自信がもっと出ると思う。もちろん過信になってはいけないけど、まだいまいち自分に対しての自信が足りていないところがある。それは、フロンターレが優勝し、結果を残せていないから」
そして、続けた。
「だから、優勝したいです」
小林が加入した2010年は、怪我からのスタートということもあったが、それ以上にフォワードに名を連ねていたのは、ジュニーニョ、レナチーニョ、鄭大世、黒津勝、矢島卓郎ら錚々たるメンバーがおり、「正直、出られるわけないだろう」と思っていたという。2010年はフロンターレの過渡期であり、南アフリカワールドカップ終了後、チームを牽引していた川島永嗣、鄭大世が海外移籍。チームを長年引っ張ってきた寺田周平、佐原秀樹の引退もあった。加入当初、リハビリで一緒だった年長者の佐原にかわいがられた小林は、それがキッカケでチームになじむことができたという思い出もまたあった。2010年は、そうしたフロンターレの歴史を語る上で、ひとつの転換期を迎えていた。そして、結果的にその後、それまで続いていた優勝争いから、しばらく遠ざかってしまっていた。
そして今、風間体制3年目となり、昨年はリーグ戦で3位、そして今年もリーグ戦で上位争いをして、チームがいい意味で熟成され、かつてあったフロンターレのタイトルに向けた熱のようなものや、「優勝を狙えるチームになった」という実感や自信が選手たちのなかからも肌で感じられるようになってきたのではないかと思う。小林もまた、そのひとりだった。
「正直、このメンバーならいけるなって思います。今、3年風間さんのサッカーを続けてきて、スタッフといい仲間たちでやれていると思うので、僕、フロンターレで5年目ですけど、今までで一番タイトルに近いと思うし、獲るならここだろう。今年だろうって思いますね」
近いところまで来ている、獲れる、という場面は過去のフロンターレにおいて何度か味わってきた。そこから先の「タイトル」を獲るために選手としてどうしていくのか、小林は、こう考えている。
「夢中でやるしかないんじゃないですかね。1戦1戦、自分たちのサッカーを無我夢中で、優勝とかも考える暇もないぐらいにどれだけその1試合で全員が自分のベストを出せるか。そして、最後やりきった時に優勝になっていれば一番いいですね」
そして、続けてこう言った。
「それで、ケンゴさんに優勝カップを掲げてもらいたいですね」
中村憲剛のキャリアを考えた時に、そして2003年からフロンターレとともに歩んできた歴史に思いを馳せた時に、それを一緒にいろんな形で共有してきた者であれば、小林の発言には納得がいくだろう。
「あの人は、優勝させなきゃだめですよね、絶対に一度は。あとは、サポーターもすごい応援してくれているので、その応援の分を応援していてよかったと思ってもらえるためにもタイトルが一番だと思う。サポーターと一緒に喜びたいですね」
そういう思いを小林が持っていることを中村憲剛が知っているかは分からない。それを伝えることもまた野暮なことだろうと思う。
だが、中村憲は小林についてこんなことを言っていた。
「背中をみてくれていることはあるだろうし、それはフロンターレの継承。実際、オレ自身もそうだったから。2010年というフロンターレの変換期にユウは入ってきたから、余計にあるんじゃない。あの時は、まだ新人だったユウが、今は中心選手。それを考えるとちゃんと順調に成長してくれているし、チームの看板を背負ってもらうひとりでもあるから。人は変わるんだよね、立ち位置と努力で──」
フロンターレが好きだから──。
日本代表候補に選ばれた時に感じたことも「フロンターレでひとりだから恥ずかしくないように」という気持ちが一番強かった。5年連続出ているファン感謝デーのステージも、伊藤宏樹(現:集客プロモーション部所属)やスタッフから「リキ(杉山力裕)と頼んだぞ」と言われ、盛り上げようと頑張ってきた。これから先、伊藤宏や中村憲がそうだったように、フロンターレを背負って立つ選手になりたいのだと小林はいう。
「やっぱり僕は、フロンターレに内定した後、大怪我を負って、もうフロンターレに入れないんじゃないかと思って震える手で電話して、大丈夫だからと拾ってもらったと今でも思っています。個人的にフロンターレが大好きだから、フロンターレが良い方向に向かえばと思うんです。なぜだろう? それは、たぶんみんながいい人だからです。スタッフも選手もそうだし、やっぱりチームを移籍した選手に対してあんなに拍手で迎えるサポーターって、温かいし、そういうサポーターがいるチームに勝ってもらいたいという気持ちがある。そのために優勝をしたいし、結果が大事だろうし、チームが苦しい時に点を獲れる選手になりたいです」
相手の最終ラインの背後を取る類まれなセンスと、どんな状態でもゴールを狙う貪欲さがウリのアタッカー。昨シーズンは右サイドでのプレーを自分のものにし、絶妙のタイミングでのカットインで決定機を作り上げた。
1987年9月23日、東京都
町田市生まれ
ニックネーム:コバ、ユウ