MF19/森谷賢太郎選手
テキスト/いしかわ ごう 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Ishikawa,Go photo by Ohori,Suguru (Official)
「これでダメなら、今年でサッカーを辞めよう」
去年のある時期、森谷賢太郎はそんな覚悟を決めてサッカーに取り組んでいた。
毎試合、ハードワークを遂行するスタイルに自分を変貌させたターニングポイントを、いま明かす。
森谷賢太郎が川崎フロンターレに移籍して2シーズン目。現在、チームはリーグ優勝を狙える順位につけており、ナビスコカップは準決勝まで勝ち進んでいる。そんな好調なチームにおいて、森谷は中盤に欠かすことの出来ないピースとなっている。ただ、その自己評価となると、驚くほど低い。彼は真顔で言う。
「スタメンでは出ていますが、まだまだレギュラーだとは思っていないですね。なんで自分が試合に出ているのか、出るのが自分でいいのか、そんなことを常に考えながらやっています。自信がないわけではないんです。でも、そう思えるからこそ試合で危機感を持ってやれているのかもしれない」
その言葉にあるように、彼が常に持ち続けているのは危機感だ。それはピッチ上のプレーとしても現れている。言葉を続ける。
「じゃあ、今はなんで自分が試合に出れているのか。それを考えると、やはり自分はハードワークだと思ってます。誰よりも走ること。球際で負けないとか、泥臭いところとか、そこを毎試合出さないといけない。そこが自分のターニングポイントとなったし、それがなくなったら試合に出られなくなると思ってます」
──誰よりも走る、球際で負けない、泥臭さ。
かつての森谷賢太郎のプレースタイルを知る人からすれば、技巧派の彼には似つかわしくないフレーズが並んでいるように思えるかもしれない。だが、彼はこれらの要素を自分の中に組み込み、ピッチで表現し始めたことで、自分の居場所を川崎フロンターレで見つけ出した。そして、そこにたどり着くまでには、ある覚悟があった。
話は、森谷賢太郎が川崎フロンターレにやってきた2013年のシーズン序盤まで遡る。
昨年のシーズンスタートは、森谷にとって「順風満帆」とは言えないものだった。いや、「最悪」だったと言えるかもしれない。本人の言葉を借りると、「底までいったんじゃないか、というぐらい沈んでいた」からである。
日立柏サッカー場で行われたJリーグ開幕戦で、森谷は中村憲剛の欠場を受けて先発出場を果たした。しかし開始5分、自身のボールロストからカウンターを浴びて失点。結局、持ち味を出す場面もなく、ハーフタイムには交代を命じられた。出場時間はわずか45分。第2節の大分トリニータ戦では出番がなく、ベンチで90分間を過ごしている。開幕してからチームの低空飛行もしばらく続き、森谷自身も思い悩む時間の多い日々を過ごしていた。
「去年は浮き沈みがありましたね。特に最初の頃は、試合に出てもうまくいかなかったし、考えることも多かったです。もちろん、普段の練習でそれを出したりは絶対にしないですよ。でも自分の中では『底にいくところまでいったな』と思っていました」
幸いだったのは、ブラジルでのコンフェデレーションズカップ開催に伴い、1ヶ月以上の中断期間が設けられたことだった。オフを挟んだこのインターバルに、森谷は自分自身をリセットしようと考えた。新しい気持ちで、リスタートしようと決意したのである。それは単なる決意ではなかった。あのときに抱えていた思いを吐露する。
「ここで、本当に頑張って、頑張って… もし、それでもダメだったら、『今年でサッカーを辞めよう』ぐらいの気持ちでいましたよ。もしこの気持ちで1年をやり切ってダメだったら、どこのチームにいってもダメだな、と思っていましたから。ダメだったら下のカテゴリーでやればいいかな、なんていう考えも全くなかった」
──これでダメなら、今年でサッカーを辞めよう。
そこまでの覚悟を決めて、あのときの森谷賢太郎はサッカーと向き合い、自分を変えようとしていたのである。だが一体、そのために何を変えていけばいいのか。技術が下手な選手であれば、上手くなればいい。しかし森谷は風間監督も認めるだけの一定水準の技術がある選手だ。彼が自分の中で大きく変えようとしたのは、技術よりも気持ちの部分、つまりタマシイの部分だった。
「まわりを見ても、憲剛さんや嘉人さんなど、自分より上手い人があれだけ気持ちを出してプレーしていたんです。だったら、まずは自分も気持ちを出してやらないといけない。北海道の函館キャンプからスタートするので、まずはそこで気持ちを前面に出してやっていこうと思った」
彼にとって「気持ちを出す」とは、ひとつひとつのプレーにタマシイをこめることだった。そして誰よりも献身的に走ろうと決めた。
「自分は下手なんだから、もっと走らなきゃいけない。例えば守備で味方がキツいときは、自分が走って戻ってプレーする。相手に走り勝つこと。あるいは球際の強さで、相手に負けない。そういう泥臭さを出そうと思ったんです。そこに気づけたのはターニングポイントでしたね」
そんな密かな決意を秘めて、6月の函館キャンプに臨んだ。意識の変化はプレーに現れる。練習中、こうした森谷の違いにいち早く気づいたのは、鬼木達コーチだった。
「練習をしているときに、オニさんが『おっ、ガツガツいくじゃん。いいね!』と声をかけてくれたんです。その言葉があって、自分の気持ちとしても前向きになれましたね。あれは、すごく覚えてます」
このときのやりとりは、鬼木もよく覚えているという。
「わかりますよね、全然違いましたから。賢太郎本人がやろうとしている意気込みも顕著に出ていた。今までとは違い、球際の場面での絶対に負けないという気持ちであったり、攻撃でも守備でも『自分がなんとかしよう』という気持ちがプレーに出ていました。他の選手もやっていましたが、その中でも賢太郎は目立っていました」
鬼木が森谷を評価しているのは、その継続性にあるという。
「どの選手もそうですが、シーズンの始まりやオフ明けは頑張るんですよ。でもその頑張りが、続かなくなってしまうことは多い。自分も選手だったのでわかりますが、その頑張りが当たり前になるまで続けるのは本当に難しい。でも賢太郎はそれを続けていました。できるだけ続けて欲しいという願いもあるので、自分はいいところを褒めるようにしています」
意識が変われば、プレーも変わる。森谷賢太郎のプレースタイルは少しずつ変わり始めた。そしてその継続は、早速、結果に結びついている。中断明けにベガルタ仙台とのナビスコカップ準々決勝が行われたが、その第2戦で森谷は移籍後初ゴールを記録したのだ。ゴール前でのこぼれ球を、柔らかいコントロールで冷静にゴールネットを揺らし、このゴールはチームの勝ち上がりを決定づけるダメ押し点となった。この初ゴールで森谷は少しだけ肩の荷もおりたという。
「ゴールは早く取りたいとずっと思っていました。マリノスのときもそうでしたけど、やはりゴールで自分の環境が変わりますから。監督、チームメート、サポーターから認められるためにも、ゴールを決めたかった。6月にゴールが取れたことで、気持ち的にも楽になりましたね」
ゴールという結果を出したことで、自信を持って自分の方向性を追求し始めた。試合に出れば、どんな局面でも泥臭く、貪欲なプレーを心がけていった。すると、次第にそれが自分の中で当たり前になり、周囲の反応も変わり始めたのである。
例えば、後半の苦しい時間帯、自分のサイドにボールが転がって来ると、ペース配分などおかまいなしに、鬼気迫る表情でボールをチェイスし続けた。等々力競技場で行われた試合の後半、右サイドを主戦場とする彼のタマシイのこもったハードワークは、目の前で応援しているGゾーンのサポーターのボルテージを何度も上昇させた。そしてそのチェイシングが相手のわずかなミスを呼び込めば、サポーターから割れんばかりの拍手がわき起こった。この歓声は、ハードワークする森谷のエネルギーになった。
「あれが等々力の良いところですよね。そういうプレーで拍手をしてもらえるのは気持ちいいし、すごくうれしい。ボールを追いかけることに拍手をしてくれると、自分がやっていることは間違えてないと思えるし、自分の自信にもなるんです。ああいう拍手がなかったら、『これでいいのかな』といまだに不安になっていたかもしれない(笑)。アシストして点が入ったときよりも、好きだったりしますね」
得点を決めたわけでもなければ、素晴らしいパスを出したわけでもない。言ってしまえば、全力でボールを追いかけただけだ。それでもサポーターは、そんな森谷の姿勢に惜しみない拍手を注いだ。タマシイがこもったプレーは、ときにどんなゴールよりも人の心を動かすのかもしれない。
その後も森谷賢太郎は、これまでの自分に足りなかったものをピッチで表現し続けた。もともと攻撃面での技術は備えている選手である。ボールを保持しているときは、パスコースに顔を出し、自分が触ることでチームのリズムが生まれるようにつとめ続けた。その上で守備になると、スプリントを繰り返し、局面でのハードワークを怠らず、自分の体力を全て出し切った。試合後にはチームメートから「よくあれだけ走れるな」と言われることも珍しくなかった。森谷はチームの歯車として機能し、チームの立ち位置も確立し始めた。その成長ぶりについては、中村憲剛も認めるところだ。
「ウチにきた最初の頃は、上手い選手だけど戦えないな、という印象を受けたかな。感情も表に出ないタイプだしね。今も感情があまり出さないところは変わってないけど、球際の強さであったり、走るという部分はずいぶんと変わって来た。夏で一皮むけた感じはあるよね。走る、戦うが結果に現れてきたと思う」
迎えた2014年シーズン。
開幕当初はベンチだったが、ACLのウェスタンシドニー戦で初先発を果たすと、オーストラリアから帰国直後に行われたJリーグ第4節FC東京戦でも先発。「守備で頑張るところと、誰よりも走るというのは意識していた」とは試合後の本人の言葉だが、過酷な連戦ながら攻守両面でのハードワークを完遂した森谷の姿は、ピッチ上で際立っていた。試合は、4-0という圧勝でリーグ戦初勝利をあげている。
そしてこの多摩川クラシコでの勝利からチームの快進撃も始まっていく。ACLとリーグ戦を平行するタフな過密日程だったが、先発し続けた森谷はハードワークを怠らない。自分をセーブすることなく毎試合全てを出し切り続けた。今季初ゴールを記録した第11節ヴァンフォーレ甲府戦では、軽い熱中症にも見舞われ、恒例となっているGゾーンでのトラメガ挨拶を欠場したほどだった。それでも次の試合が来ればいつものように限界までハードワークを行い、6月までの過密日程を見事にやり切った。
「自分、体力はないんです。だから自分でも『こんなに走れるんだ』と驚くことはありますね。確かにキツいですけど、ここ最近は『走れないな』と思うことはないです。試合中はうまく休むようにもしているけど、絶対に走り負けないようにもしている。そういうペース配分は、自分の中でわかってきたところはあります」
かつての日本代表監督であるイビツァ・オシム氏が、「限界に限界はありません。限界を超えれば、次の限界が生まれるのです」と言っていたが、今年の森谷のハードワークぶりは、きっとそんな感じだったのだろう。
技術とハードワーク。さらにそこから自分のスタイルにどんな上積みを加えていくのか。そこに関して、中村憲剛が森谷についてこんな要求をしている。
「今のチームは、俺と僚太と賢太郎の3人でゲームを作って、嘉人、悠、レナトの前の3人がゴールを決めるという役割ができている。でも二列目のポジションで出ている以上は、賢太郎にもゴールに絡む仕事を求めたいね。そこは口酸っぱく言っているよ」
本人もそこは自覚しており、リーグ戦再開後の森谷賢太郎は、ゴールに絡む意識が強くなっている。とはいえ、左サイドのレナトのように相手を切り裂くドリブル突破でゴールを狙うタイプではない。彼が自分の武器として磨き始めているのは、ミドルシュートだ。
例えば第15節の清水エスパルス戦後半。セットプレーのこぼれ球を拾うと、左サイドから切れ込んで右足で思い切りよく振り抜いた。惜しくもGK相澤貴志にかき出されたが、鋭く縦に落ちるミドルシュートは、「あわや」の一撃だった。第19節の浦和レッズ戦では失点直後にレナトが同点弾を決めているが、それは森谷が放ったミドルシュートの跳ね返りをプッシュした形である。第21節の横浜F・マリノス戦ではドリブルからのループシュート、第22節名古屋グランパス戦でもセットプレーのこぼれ球からミドルシュートを放っている。すべてペナルティエリアのボックス付近から放っているのだが、同じミドルレンジからのシュートではなく、様々な球種やコースを使い分けて打っているのが、彼らしいところでもある。本人もそこは意識しているのだという。
「相手のGKも、自分のキックの特徴までは掴んでいないと思うんですよね。そこで、自分がいろんな種類のボールが蹴れれば、相手の意表も突ける。よりいろんな形でゴールを決めることができれば、相手もすごく嫌だと思ってます」
そのトライが実ったのが、ナビスコカップ準々決勝セレッソ大阪戦の第1戦だ。1-1で迎えた後半、大島僚太からのパスを受けてトラップすると、素早く振り抜いたミドルシュートが、鋭く縦に落ちてゴールネットに吸い込まれた。本人は「たまたまですよ」と謙遜するが、トラップからシュートまでの一連の準備動作、そしてそのコースの軌道はほぼ完璧だった。与えてはいけないアウェイゴールの弾道を、相手GKもただただ見送るしかなかった。
技術とハードワーク。そしてミドルシュート。自分の限界を越えながら、森谷賢太郎というフットボーラーは自分の武器を磨き、進化し続けている。もちろん、本人はまだまだ進化に貪欲だ。
「もっと自分のレベルをあげていかないといけないし、憲剛さんや嘉人さんのレベルに追いつかないといけないですね。もっと上手くなって彼らにひけを取らないぐらいのプレーを見せて、さらにあの2人よりも走れるようになること。そうなれば、きっと自分はどこにもいない選手になれると思ってます」
そして最後に、恩師に対する秘めたる思いも静かに口にした。
「サッカーをしてきた中でターニングポイントというのは、そんなに多くないと思ってます。でも風間監督から指導してもらったことは、自分にとって間違いなくターニングポイントです。そんな人に恩返しできるようにしないといけないですね…優勝、したいです」
どこにもいない選手になるために──森谷賢太郎は、これからもタマシイをこめて、サッカーをプレーし続ける。
足もとの技術とパスセンスに優れたMF。昨シーズンは初の移籍で苦しい時期を過ごしたが、徐々にチームにフィットしはじめ、自身も成長を実感する1年となった。フロンターレでの2年目のシーズンは、さらなる成長の年。試合の流れを変えるジョーカーだけではなく、チームの中核を担う存在としてさらなるレベルアップを期待したい。
1988年9月21日、神奈川県
横浜市生まれ
ニックネーム:ケンタロウ、モリモリ